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みんなの「紀行」ブログ

タイトル 日 時
奈良紀行 14. 室生寺
奈良紀行 14. 室生寺 ・室生寺(4月30日)  奥深い山と渓谷に囲まれた地にある室生寺は、多くの文化遺産を持つ古寺である。有名な五重塔、金堂、灌頂堂(本堂)は国宝であり、また多くの国宝・重文の仏像がある。  表門のすぐ前に室生川が流れ、その上に朱色の欄干の太鼓橋がかかっている。そして橋を渡ったところの石柱には「女人高野室生寺」の文字が刻まれている。 「高野」とは高野山のことである。和歌山県にある千メートル前後の山に囲まれた真言宗の霊地である。空海が高野山に真言宗の総本山金剛峯寺を建立したのは平安初期の814年... ...続きを見る

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2017/08/13 18:21
奈良紀行 13. 長谷寺
奈良紀行 13. 長谷寺 ・長谷寺(4月30日)  奈良仏像拝観の旅三日目に訪れたのは長谷寺と室生寺です。長谷寺は、以前からいろいろと縁があって、何回となく来ているが、ボタンの季節は初めてである。長谷寺は「花の寺」と呼ばれている寺であり、境内に高浜虚子の次の句碑がある。     花の寺 末寺一念 三千寺 「三千寺」とは、長谷寺が真言宗豊山派の総本山で、約三千の末寺があることを示している。また、虚子には次の句もある。     花咲かば 堂塔埋もれ つくすべし 4年前に来た時は、桜が満開だった。次の写真はその時... ...続きを見る

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2017/07/31 16:06
奈良紀行 12. 東大寺
奈良紀行 12. 東大寺 ・東大寺(4月29日)  この日、午前中に京都の南山城(みなみやましろ)へ行って岩船寺と浄瑠璃寺を拝観してから奈良に戻り、昼食は奈良ホテルでちょっと豪華なランチを食べた。そして午後は、奈良国立博物館で開催されている「快慶展」のチケットを一枚ずつ貰って、あとは各自、興福寺や春日大社など好きなところへというフリータイムである。私は、午後7時まで開館している快慶展は後回しにして、その前に東大寺に行って国宝仏像の数々をじっくり拝観することにした。 この日は祝日でもあり、東大寺の参道は凄い人出である... ...続きを見る

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2017/07/28 17:33
京都紀行 10. 浄瑠璃寺
京都紀行 10. 浄瑠璃寺 ・浄瑠璃寺(4月29日)  バスを降りて参道を行くと、浄瑠璃寺の小さな門が見えてくる。門をくぐると、緑に囲まれたこじんまりとした境内である。 浄瑠璃寺の境内は、東に薬師如来を祀る三重塔が西面して建ち、宝池を挟んで、西に九体の阿弥陀如来像を安置する横長の阿弥陀堂が東面して建っている。太陽は三重塔のある東から昇り、宝池を渡って阿弥陀堂のある西に沈む。つまり、東の薬師、西の阿弥陀。薬師如来は、病気など現世の苦悩を救い、西方浄土へ送り出してくれる仏。それを迎えるのが阿弥陀で、人々を理想郷である極楽... ...続きを見る

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2017/07/16 19:57
京都紀行 9. 岩船寺
京都紀行 9. 岩船寺  4月28〜30日の奈良旅行の二日目午前中は、南山城(みなみやましろ)の岩船寺と浄瑠璃寺を訪ねた。かって山城国といわれた京都府の最南端の地が南山城である。その地の奈良との県境の近くに岩船寺と浄瑠璃寺がある。 ...続きを見る

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2017/07/10 16:48
奈良紀行 11. 法輪寺
奈良紀行 11. 法輪寺 ・法輪寺 (4月28日)  中宮寺から北へ約1キロ行くと、古くは三井寺とも呼ばれた法輪寺がある。聖徳太子の病気平癒祈願のため、子の山背大兄王と孫の弓削王が発願して建立された寺である。  昭和25(1950)年の発掘調査によると、法隆寺と同様、東に金堂、西に塔が並び、北に講堂が建つ伽藍配置をもっていた。その三重塔は法隆寺の五重塔、法起寺の三重塔とともに、斑鳩三塔と賞賛されていたというが、昭和19(1944)年に落雷のため焼失した。その後現在の三重塔が再建されたが、その間には大変な苦労があっ... ...続きを見る

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2017/07/02 15:22
奈良紀行 10. 中宮寺
奈良紀行 10. 中宮寺 ・中宮寺 (4月28日)  夢殿のある法隆寺東院の東隣に、尼寺である中宮寺がある。聖徳太子の母、穴穂邊間人(あなほべのはしひと)皇后の寺である。皇后は、蘇我馬子の姉・小姉君の娘として生まれ、異母兄の用明天皇の妃となって、厩戸皇子(聖徳太子)をはじめ四人の子どもをもうけたが、蘇我・物部の争いに絡み、悲運な運命をたどった。中宮寺はその宮殿を寺にしたといわれている。もとは現在地より東400bにあり、室町時代に移された。昭和42年に吉田五十八の設計で近代的な新本堂が建ち、美しい菩薩半跏像がその本尊... ...続きを見る

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2017/06/30 10:22
奈良紀行 9. 法隆寺(続)
奈良紀行 9. 法隆寺(続) ・法隆寺(続)(4月28日)  平成10(1998)年完成の大宝蔵院百済観音堂の本尊が百済観音である。この像は昭和初年までは金堂内に安置されていたというが、それは古代以来のことらしい。江戸時代には百済から渡来の虚空蔵菩薩像として知られていたが、明治44(1911)年に化仏を表した金銅製宝冠が寺内で発見されて、観音像であることが明らかになった。「百済観音」の名で親しまれるようになったのは、それ以後の事だというから、意外に新しいことである。  百済観音は細身の長身(像高210.9cm)で、顔... ...続きを見る

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2017/06/24 16:50
奈良紀行 8. 法隆寺
奈良紀行 8. 法隆寺  4月28〜30日、ツアーに参加して、奈良地方に仏像拝観の旅に出た。今回の旅の主たる目的の一つは、奈良国立博物館で開催中の「快慶展」を見ることであったが、私は久しく行ってない法隆寺・中宮寺と、行きたいと思いながらまだ行ったことのない浄瑠璃寺にも行くことであった。盛りだくさんな仏像拝観の旅であったが、日時順に感じたことを記してみたい。 ...続きを見る

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2017/06/17 22:59
奈良紀行 7. 薬師寺 (続)
奈良紀行 7. 薬師寺 (続) ・薬師寺 (続) (6月5日)  玄奘三蔵院伽藍を見てから、北口から入って薬師寺白鳳伽藍を見学した。薬師寺は来るたびに復興整備が進んでいる。前回来たときはなかった大講堂が立派な姿を見せている。金堂に回ると、修学旅行の学生が大勢来ている(このページトップの写真)。この金堂にある日本一美しい仏像といわれる薬師三尊像は、やはり中高生も必見である。じっくり見て欲しいものだ。  金堂の前には西塔が美しく聳えていた。しかし、国宝の東塔は、解体修理のため大きな工事用の覆屋に覆われ、姿が見えない。修理の... ...続きを見る

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2016/09/21 11:40
奈良紀行 6. 薬師寺
奈良紀行 6. 薬師寺 ・薬師寺 (6月5日)  今回の旅行最後は薬師寺である。  薬師寺には今まで幾度となく来ているが、最初は大阪勤務時代の昭和40年代初めであった。当時の高田好胤管主が金堂の前で、小さな台に乗って、修学旅行生を前にして講話をしているのを、その近くで一緒に聴いた記憶がある。当時の境内はまだ荒れた状況も残り、金堂は現在興福寺に移築されている旧金堂 (「奈良紀行 3.興福寺」参照) で、天井の低い金堂の中に黒光りをした薬師三尊像が立っていた。この時の金堂の様子と薬師三尊像の美しさは今でも瞼の奥にイ... ...続きを見る

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2016/08/30 15:56
奈良紀行 5. 法華寺
奈良紀行 5. 法華寺 ・法華寺 (6月5日)  唐招提寺を拝観のあと法華寺に向かった。途中、24号線の奈良バイパスを通ったが、近鉄奈良線を跨ぐ辺りで高架になってカーブする所がある。ここが平城宮跡を見る絶好の場所で、徐行するバスの車窓から、復元された大極殿を中心として平城宮跡全体を見渡すことが出来た。  法華寺は、元は藤原不比等の邸宅があった場所で、不比等の没後は娘の光明子が相続し、光明子が聖武天皇の皇后になると、ここが皇后宮になった。こうした経緯から、法華寺は藤原氏の氏寺に近い性格をもち、同時に大和国の国分尼... ...続きを見る

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2016/07/30 15:41
奈良紀行 4. 唐招提寺
奈良紀行 4. 唐招提寺 ・唐招提寺 (6月5日)  唐招提寺が大好きという人は多い。先日も友人の一人が、私の写真(このページトップの写真)を見て、「唐招提寺は大好きな寺だ」と言っていた。また、有名人でも、瀬戸内寂聴は著書「寂聴古寺巡礼」の中で、『奈良には多くの名刹があるが、その中で唯一の好きな寺をあげよといわれるなら私は即座に唐招提寺をあげる』といっている。私も、47、8年前、唐招提寺に初めて行った30代の頃からこの寺が大好きで、以来機会ある度に何回も訪れている。  私たちは、朝9時前に唐招提寺の南大門をくぐっ... ...続きを見る

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2016/07/19 14:18
奈良紀行 3. 興福寺
奈良紀行 3. 興福寺 ・興福寺 (6月4日)  興福寺は久しぶりである。以前、西国三十三観音巡りで興福寺南円堂(第九番札所)を訪れたとき以来である。今回、ここへ来る前に参拝した白毫寺境内の見晴台から奈良市街を見渡したが、五重塔の後ろに巨大な建設やぐらが見えた。これは興福寺「中金堂」を再建工事中のものである。 興福寺は、平家による南都焼き討ちの際、わずかな小院を除いてすべての堂塔が焼失したのを始めとして、1300年間に大小百回以上も火災に遭ったという。しかも驚くべきことに、興福寺はそのつど天平当時の同じ場所、同じ... ...続きを見る

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2016/07/07 17:01
奈良紀行 2. 白毫寺
奈良紀行 2. 白毫寺 ・白毫寺 (6月4日)  白毫寺は、奈良市東部の山並み、若草山・春日山に続き南に連なる高円山の西麓にある古寺である。高円と呼ばれたこの地に天智天皇の第七皇子、志貴皇子の離宮があり、その山荘を寺としたと伝えられている。平安遷都に伴い寺は寂れたが、鎌倉時代になり西大寺中興の祖である叡尊によって再興された。そして、室町時代には兵火により全山焼失するという苦難の時代を経て後、江戸時代寛永年間に興福寺の学僧・空慶上人によって再興されたという。明治の廃仏毀釈の後、しばらく境内は荒れたが、人々の尽力によ... ...続きを見る

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2016/06/29 11:24
奈良紀行 1. 喜光寺
奈良紀行 1. 喜光寺 ・喜光寺 (6月4日)  久しぶりに奈良へ旅行に出た。3年前に桜撮影で奈良地方へ行ったことはあるが、奈良の仏像を観る旅は20年振りくらいだろうか。今回は、唐招提寺の鑑真和上像の御開帳に合わせての日程で、6月4・5日の一泊二日で6ヶ寺を回る計画である。テーマは、鑑真をはじめ行基など奈良時代の名僧の彫像を観ることにある。京都で新幹線から近鉄特急に乗り換え、大和西大寺駅で降りると直ぐにマイクロバスで喜光寺へ向かった。今回は、現地参加の講師の他は添乗員を含めて10名という小グループの旅行である。 ... ...続きを見る

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2016/06/19 11:05
京都紀行 8. 勝持寺・願徳寺
京都紀行 8. 勝持寺・願徳寺 ・勝持寺 (4月6日)  京の西山連峰の麓に位置する勝持寺は、天武8年(679)に天武天皇の命により創建されたのが始まりという古刹である。承和5年(837)仁明天皇の勅により塔頭四十九院を建立されたが、応仁の乱で仁王門を除きすべて焼失した。現在の建物はその後再建されたものだが、唯一仁王門(上の写真)だけが当時のものである。この仁王門を入って、長い坂を登ってゆくと、勝持寺と願徳寺が並んで建っている。  勝持寺は、別名「花の寺」ともいう桜の名所で、平安時代の歌人、西行は保延6年(1140)、... ...続きを見る

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2016/06/02 19:05
京都紀行 7. 十輪寺
京都紀行 7. 十輪寺 ・十輪寺 (4月6日)  十輪寺は、京都西山大原野にある山寺である。平安時代初期に創建され、文徳天皇の后、染殿皇后(藤原明子)が安産祈願に訪れ、後の清和天皇が生まれたことから、子授け・安産のご利益がある寺といわれてきた。応仁の乱で一時は荒廃したが、江戸時代に藤原氏の公家・花山院家により再興された。  平安時代の歌人で「伊勢物語」の主人公在原業平が晩年をこの寺に隠棲したと伝わり、十輪寺は通称「なりひら寺」と呼ばれている。寺の裏山を登って行くと業平の墓がある。  十輪寺の住所は「西京区大原... ...続きを見る

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2016/05/30 09:33
京都紀行 6. 東寺の夜桜
京都紀行 6. 東寺の夜桜 ・東寺 (4月5日)  夕刻5時ごろ東寺に着いた。今回の訪問の主な目的は、五重塔初層の拝観と夜桜見物である。  東寺は、講堂にある立体曼荼羅と云われる仏像群があまりにも有名である。大日如来を中心に21体(内16体が国宝)の仏像が整然と配されている。この講堂や金堂の仏像は、私は今まで何度も(勿論今回も)拝観したが、五重塔初層は初めての特別拝観である。  東寺五重塔は、天長三年(826)弘法大師の創建にはじまるが、何度も火災に遭い、現在の塔は正保元年(1644)徳川家光の寄進により竣工した... ...続きを見る

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2016/05/29 11:12
京都紀行 5. 法然院
京都紀行 5. 法然院 ・法然院 (4月5日)  高台寺のあとは、銀閣寺近くの駐車場まで行き、そこから哲学の道を散策しながら法然院に向かった。哲学の道は琵琶湖疎水へ続く川沿いに整備された散策路で、桜の名所にもなっている。「哲学の道」の名は、哲学者西田幾多郎がここを散策して思索に耽った事から付けられた。  法然院は、京都東山の鹿ケ谷にある山寺で、専修念佛の元祖・法然上人ゆかりの寺である。哲学の道を離れて法然院の境内に入っていくと、一転して木々の茂る山中の趣に変わる(このページトップの写真)。伽藍内は通常非公開... ...続きを見る

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2016/05/28 12:34
京都紀行 4. 高台寺
京都紀行 4. 高台寺 ・高台寺 (4月5日)  京都の桜見物を目的に、併せて美しい仏像を見学しようと、4月5日から1泊2日で京都に行ってきた。紅葉と桜の季節、京都の街はいつも観光客でいっぱいだが、今回は街の中心部だけでなく、比較的観光客の少ない洛西、西山の麓にある寺々を回って来た。  京都駅に着いて直ぐに、私たちは高台寺近くにある 「ザ ソウドウ 東山 京都」というレストランへ行き、先ず腹ごしらえをした。日本画の巨匠竹内栖鳳邸宅だったという、趣深いイタリアン レストランである。窓から八坂の塔を眺めながら少... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/19 16:05
京都紀行 3. 高山寺
京都紀行 3. 高山寺 ・高山寺 (6月24日)  今年5月に上野の東京国立博物館で「高山寺の至宝展」が開かれたが、大勢の人が詰めかけて、入場が2〜3時間待ち、館内に入ってからも、お目当ての「鳥獣戯画」を見るのに2時間待ちという状態だったという。私も鳥獣戯画を見たかったが、この混雑ぶりを聞いて、見に行くのをあきらめたのだった。  栂尾にある高山寺は古くから文化財の宝庫で、「鳥獣人物戯画」のほか「明恵上人樹上座禅像」など国宝6点と多数の重要文化財を所蔵することで有名な寺である。ただし、建造物以外の指定文化財の大部... ...続きを見る

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2015/08/11 16:19
京都紀行 2. 妙心寺東林院
京都紀行 2. 妙心寺東林院  ・妙心寺東林院 (6月23日)  京都洛西の花園は、北に衣笠山などの山々を望み、その山麓には石庭の竜安寺、金閣寺、西には兼好法師ゆかりの双ヶ岡、さらに嵯峨野、嵐山と広がる地で、その中心地にある大本山妙心寺は40余の塔頭がある大寺院である。その塔頭の一つである東林院は、周囲を竹藪に囲まれ、沙羅双樹の庭園と枯山水庭園が、水琴窟の雅な音色とともに、古来粋人に好まれてきた寺である。  「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす・・・」と「平家物語」にうたわ... ...続きを見る

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2015/07/31 17:07
京都紀行 1. 祇王寺
京都紀行 1. 祇王寺  ・祇王寺 (6月22日)  6月下旬に京都に行ってきた。この時期、初夏の京都は初めてである。最近、緑の京都がきれいだということで、「青もみじの京都へ行こう」と、JRでも盛んに宣伝している。普通、京都といえば、シーズン的にはやはり秋の紅葉ということになり、また春の桜の季節も同様に京都の町は観光客で溢れるのだが、6月の緑の季節は観光客が非常に少ない。今回は、2泊3日の日程で10か所ほど京都の寺々に行ったのだが、どこも人が少なく、ゆっくりと見て回り、寺の緑と夏花などを撮影することが出来た。 ... ...続きを見る

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2015/07/28 11:46
奥の細道紀行 40. 大垣 ・ 旅を終えて
奥の細道紀行 40. 大垣 ・ 旅を終えて ・ 敦賀〜大垣  (2014. 12. 4〜5.)  敦賀から大垣までは決して至近の距離ではないのだが、芭蕉がどこを通って大垣まで辿り着いたかは、今でも謎とされている。私たちは、長浜を経由して大垣まで、芭蕉も歩いたと思われる場所を辿って行った。  敦賀・色の浜を後にして、先ず最初に立寄ったのは福井・滋賀の県境にある西村家である。西村家には「おくのほそ道」素龍清書本が残る。表紙に貼った題簽だけは芭蕉の直筆である素龍本は、芭蕉没後、遺言により弟子の向井去来に渡り、その後幾人かのもとを経て、敦... ...続きを見る

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2015/02/11 12:37
奥の細道紀行 39. 敦賀〜色の浜
奥の細道紀行 39. 敦賀〜色の浜 ・ 敦賀  (2014. 12. 4.)  芭蕉が敦賀に着いたのは、仲秋の名月の前日であった。「おくのほそ道」には、『十四日の夕暮れ、敦賀の津に宿を求む』とある。宿は出雲屋であった。山中温泉で芭蕉と別れた曾良が、先に敦賀に着いて手配している。「曾良随行日記」に『十日快晴・・・出雲や弥市良ヘ尋。金子一両、翁へ可渡之旨申頼、預置也』とある。出雲屋の跡は現在レストランになっており、道路脇に「芭蕉翁逗留出雲屋跡」の標柱が建っている。  芭蕉が着いた十四日の夜は晴れていた。明日の仲秋の名月も晴れる... ...続きを見る

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2015/01/29 16:39
奥の細道紀行 38. 福井〜木ノ芽峠
奥の細道紀行 38. 福井〜木ノ芽峠 ・ 福井  (2014. 11. 30.)  芭蕉は、永平寺で午後の一時を過ごし、夕方になってから福井の町へ向かった。「おくのほそ道」には『福井は三里ばかりなれば、夕飯したためて出づるに、黄昏の道たどたどし』とある。この永平寺から福井までが、奥の細道で芭蕉が一人で旅をした唯一の場所である。芭蕉は、西行のような孤独な一人旅を愛する人ではなかった。『黄昏の道たどたどし』という表現に、芭蕉の心細さが滲み出ているように思う。  芭蕉は福井で、十年前に江戸に芭蕉を訪ねてきた『等栽といふ古き隠士』を... ...続きを見る

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2015/01/26 17:51
奥の細道紀行 37. 全昌寺〜永平寺
奥の細道紀行 37. 全昌寺〜永平寺 ・ 全昌寺  (2014. 11. 29.)  八月五日(陽暦9月18日)山中温泉で芭蕉と別れた曾良は全昌寺で宿泊して、七日に出立している。芭蕉が小松で生駒萬子にあった後『大聖寺の城外、全昌寺といふ寺に泊』ったのは、『曾良も前の夜この寺に泊まりて』という「おくのほそ道」の記述によれば八日の夜ということになる。  全昌寺は曹洞宗の寺院で、大聖寺城主山口氏の菩提寺であり、芭蕉が山中温泉で宿泊した和泉屋の菩提寺でもあった。芭蕉も曾良も和泉屋の紹介で全昌寺に宿泊したものと思われる。  曾良はこ... ...続きを見る

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2015/01/23 18:57
奥の細道紀行 36. 山中
奥の細道紀行 36. 山中 ・ 山中  (2014. 11. 29〜30.)  七月二十七日(陽暦9月10日)小松から山中温泉に到着した芭蕉の、山中温泉滞在中の動静を「曾良随行日記」は次のように記載している。 『廿七日 ・・・山中ニ申ノ下刻着。泉屋久米之助方ニ宿ス。山ノ方、南ノ方ヨリ  北ヘ夕立通ル。  廿八日 快晴。夕方、薬師堂其外町辺ヲ見ル。夜にニ入、雨降ル。  廿九日 快晴。道明淵、予、不往。  晦  日 快晴。道明が淵。  八月朔日 快晴。黒谷橋ヘ行』 二日・三日・四日は天候のことのみを記してお... ...続きを見る

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2015/01/15 17:18
奥の細道紀行 35. 那谷
奥の細道紀行 35. 那谷 ・ 那谷  (2014. 11. 29.)  芭蕉は、七月二十七日(陽暦9月10日)小松から山中温泉に行き、八月五日(陽暦9月18日)に曾良と別れ、北枝を伴って再び小松に赴く途中で那谷寺に詣でた。「曾良随行日記」には、『五日 曇。昼時分、翁・北枝、那谷ヘ趣。明日、於小松ニ、生駒万子為出会也』とある。生駒万子は本名重信、禄高千石の加賀藩士である。「おくのほそ道」の文章は小松→那谷寺→山中温泉という常識的な道順に従って配列してあるが、旅の事実そのままの記述ではない。  那谷寺は高野山真言宗の... ...続きを見る

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2015/01/13 15:31
奥の細道紀行 34. 小松
奥の細道紀行 34. 小松 ・ 小松  (2014. 11. 29・30.)  芭蕉は、七月二十四日(陽暦9月7日)盛大な見送りを受けて金沢を立ち、小松で近江屋という旅宿に泊まった。金沢の北枝も同道した。翌日出立しようとしたが、小松の人々に引き留められ、山王宮(日吉神社)の神主・藤井伊豆宅に宿泊して、句会を催した。ここで詠んだ発句が「おくのほそ道」に記載された「しほらしき名や小松吹く萩薄」である。小松滞在中、芭蕉は立松寺(建聖寺)・諏訪宮などを訪れ、そして『多田八幡ヘ詣テ真(実)盛が甲冑・木曽願書ヲ拝』んだ(曽良随行... ...続きを見る

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2014/12/18 22:33
奥の細道紀行 33. 金沢
奥の細道紀行 33. 金沢 ・ 金沢  (2014. 11. 28.)  七月十五日(陽暦8月29日)高岡をたった芭蕉は、埴生八幡宮を拝み、倶利伽羅峠を越えて加賀の国に入り、『未ノ中刻』(午後3時)、加賀百万石・北国第一の城下町金沢に到着した。「曾良随行日記」十五日の項には、『京や吉兵衛ニ宿かり、竹雀・一笑ヘ通ズ。良刻、竹雀・牧童同道シテ来テ談。一笑、去十二月六日死去ノ由』とあって、芭蕉が小杉一笑の死を知らず、金沢に着いたら第一番にこの人を訪ねようとしていたことが分かる。それだけに、芭蕉の驚きと悲しみは深かったと思わ... ...続きを見る

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2014/12/16 17:06
奥の細道紀行 32. 奈呉の浦〜倶利伽羅峠
奥の細道紀行 32. 奈呉の浦〜倶利伽羅峠 ・ 奈呉の浦  (2014. 10. 26.)  滑川に一泊した芭蕉は、富山へは寄らず、神通川等を渡り放生津に入った。「おくのほそ道」には『黒部四十八が瀬とかや、数知らぬ川を渡りて、那古といふ浦に出づ』と記している。  奈呉(那古)の浦は放生津潟の古称である。天平18年(746)から5年間、越中国守として在任した大伴家持が、奈呉の浦の風景を好んで和歌を詠み、以来奈呉の浦は万葉歌枕の名勝地となった。  放生津八幡宮は、大伴家持が宇佐八幡宮を勧請して奈呉八幡宮と称したのが始まりである。社殿... ...続きを見る

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2014/11/25 23:12
奥の細道紀行 31. 市振〜滑川
奥の細道紀行 31. 市振〜滑川 ・ 市振  (2014. 10. 25.)  市振の街並みに入る所に「海道の松」という大木が聳えている。解説板に曰く、「昔の北陸道は、この海道の松から、海岸へ降りて、西からの旅人は、いよいよ寄せくる波におびえながら、天下の嶮親不知子不知を東へ越えることになったのである。また西へ上る旅人は10キロ余の浪間を、命がけでかいくぐり、海道の松にたどりついてようやくホッとし、市振の宿に入ったのである。・・・」  海道の松から街を西に少し行くと、芭蕉が宿泊した桔梗屋跡がある。「一つ家に遊女もねたり萩... ...続きを見る

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2014/11/22 23:20
奥の細道紀行 30. 能生〜親不知
奥の細道紀行 30. 能生〜親不知 ・ 能生  (2014. 10. 25.)  芭蕉は高田を出て加賀街道(北国街道)から五知国分寺・居多神社を参拝、名立に寄る予定だったが、紹介状が届いてないため、歩を進めて能生に夕刻到着した。「曾良随行日記」には『十一日快晴。巳ノ下剋、高田ヲ立。五知・居多ヲ拝。名立ハ状不届、直ニ能生ヘ通、暮テ着。玉や五良兵衛方ニ宿。』と記している。居多神社は五知国分寺(前回No.29.記載)の隣にある延喜式神名帳にも名を残す古社で、越後一の宮である。  私たちは能生の街に入って先ず芭蕉が宿泊した旅館玉や... ...続きを見る

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2014/11/21 14:54
奥の細道紀行 29. 直江津〜高田
奥の細道紀行 29. 直江津〜高田 ・ 直江津  (2014. 10. 24.)  出雲崎に一泊した芭蕉は、七月五日(陽暦8月19日)柏崎を経て鉢崎に泊まり、翌六日、今崎(直江津)に到着した。柏崎では宿泊予定地でトラブル(前回No.28参照)があったが、直江津ではどうであったか。 「曽良随行日記」によると『聴信寺ヘ弥三郎状届。忌中ノ由ニテ強而不止、出。石井善次良聞テ人ヲ走ス。不帰。及再三、折節雨降出ル故、幸ト帰ル。宿、古川市左衛門方ヲ云付ル。・・・・』という次第で、前日ほどではなかったが、若干のトラブルがあったようである。 ... ...続きを見る

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2014/11/15 16:17
奥の細道紀行 28. 出雲崎〜柏崎
奥の細道紀行 28. 出雲崎〜柏崎 ・ 出雲崎  (2014. 9. 28.)  出雲崎は、芭蕉来遊当時は、佐渡ヶ島への渡船場として栄えた港町である。北国街道に沿って発展し、「妻入り」の家が、日本一の長さの3.6キロにも連なって、今も残っている。「うなぎの寝所」のような、間口が狭く奥行きの長い「妻入り」の構造は、江戸時代に越後一の人口密度を誇った繁栄の名残りである。  芭蕉と曾良は、鼠ヶ関を越えて以後、村上・新潟・弥彦と日数を重ねて出雲崎に入ったわけだが、「おくのほそ道」本文には『暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさ... ...続きを見る

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2014/10/08 21:21
奥の細道紀行 27. 新潟〜弥彦
奥の細道紀行 27. 新潟〜弥彦 ・ 新潟  (2014. 9. 27.)  新潟に入った芭蕉は、ちょうど港祭りの最中だったこともあって追込宿しかなく、大工源七の母の家に情けにより泊めてもらった。そして翌日には早々と新潟を出立している。何故か芭蕉は新潟の地にあまり良い印象を持たなかったようである。疲れている芭蕉は馬で行きたかっただろうが、『馬高ク、無用之由、源七指図ニテ、歩行ス』(曽良随行日記) と歩いて行った。  私たちは新潟市内で、芭蕉句碑「浮身塚」がある船江神社・「芭蕉翁蓑塚」がある崇現寺・芭蕉堂と蓑塚がある護国神... ...続きを見る

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2014/10/06 14:50
奥の細道紀行 26. 温海〜村上
奥の細道紀行 26. 温海〜村上 ・ 温海  (2014. 8. 30.)  不玉ら大勢の俳人に送られて酒田を立った芭蕉は、大山を経て温海に着いた。この間の海岸線は岩組が美しい所である。「曽良随行日記」には『三瀬ヨリ温海ヘ三リ半。此内、小波渡・大波渡・潟苔沢ノ辺ニ鬼かけ橋・立岩、色々ノ岩組景地有』と記されている。私たちはこれらを車窓から眺めながら移動し、塩俵岩の所で小休止した。塩俵岩は割れ目が斜めに作用したもので、俵を積み重ねたように見えることからこの名がある。ここに海を背にして大きな芭蕉句碑がそそり立っている。     ... ...続きを見る

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2014/09/20 17:16
奥の細道紀行 25. 象潟
奥の細道紀行 25. 象潟 ・ 象潟  (2014. 8. 30.)  「奥の細道」の西の北限である象潟は、芭蕉たちが訪れたころは、『俤松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は憾むがごとし』と本文にあるように、海上に浮かんでいた群島で、奥州の名峰鳥海山を背景に松の緑が点在する風景は、筆舌につくしがたいものだったようである。その後、文化元年(1804) の大地震で海底が隆起して陸地に変わってしまったが、田圃のそこここにある島々は松の緑を繁らせて、現在でも八十八潟、九十九島の面影を残している。  『先ず能因... ...続きを見る

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2014/09/17 17:29
奥の細道紀行 24. 鶴岡〜酒田
奥の細道紀行 24. 鶴岡〜酒田 ・ 鶴岡  (2014. 8. 29.)  芭蕉は一週間滞在した羽黒山を下って、酒井十四万石の城下町鶴岡に入り長山重行宅に三泊した。重行は身分も教養もある庄内藩士で、江戸在勤中に芭蕉庵を訪ねて入門した人である。  長山宅跡は住宅街の一角にあり、現在空き地になっていて「芭蕉滞留の地」碑とこの地で巻かれた歌仙発句の碑が建っている。「曽良随行日記」によれば、芭蕉は出羽三山詣での疲労が相当たまっていたらしく、この「めづらしや」四吟歌仙は巻かれるのに三日掛かっている。            「めづ... ...続きを見る

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2014/09/14 16:52
奥の細道紀行 23. 出羽三山
奥の細道紀行 23. 出羽三山 ・ 羽黒山  (2014. 7. 10.)  出羽三山というのは、羽黒山(436m)・月山(1980m)・湯殿山(1504m)の総称である。いま羽黒山には出羽神社、月山の頂上には月山神社、湯殿山の中腹には湯殿山神社がそれぞれ鎮座するが、月山・湯殿山は積雪により、冬季間参拝が不可能なため、羽黒山の出羽神社に三神を合祀して、三神合祭殿と称している。 最上川を船で下った芭蕉は、羽黒山麓の手向村に近藤左吉(呂丸)を訪れ、その案内で別当代会覚に閲した。そして南谷の別院に8日間滞在し、『有難や雪をかほ... ...続きを見る

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2014/08/02 16:16
奥の細道紀行 22. 本合海〜最上川
奥の細道紀行 22. 本合海〜最上川 ・ 本合海  (2014. 7. 9.)  六月三日(陽暦7月19日)、好天に恵まれて新庄を立った芭蕉は、本合海より最上川下りの船客となり、清川で上陸、羽黒山麓に向かったのである。。本合海は、「義経記」によれば平泉へ逃れる義経主従が、羽黒山から清川へ出、最上川を船で遡り、上陸した場所である。芭蕉がそこから逆に船で下ったのは、義経を敬愛する芭蕉の「奥の細道」にかける念願だったのかも知れない。   本合海には「史跡芭蕉乗船之地」の標柱が建てられ、傍らに芭蕉・曾良の旅姿像がある(このページトッ... ...続きを見る

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2014/07/30 13:28
奥の細道紀行 21. 大石田〜新庄
奥の細道紀行 21. 大石田〜新庄 ・ 大石田  (2014. 7. 9.)  「おくのほそ道」に『最上川乗らんと、大石田といふ所に日和を待つ』とあるように、芭蕉は最上川を下るため船待ちしようとして立石寺から大石田に出て、高野一栄宅に三日間滞在した。芭蕉来訪当時の大石田は酒田へ下る川船の発着所(河港)として栄えた所で、米や紅花などが積み出しされた。  当時、俳諧の世界には芭蕉たちの新しい風が起こっていたが、まだこの辺りでは古い流れがあり、新旧の分かれ目にあたり、適当な指導者が居ないまま、踏み迷う地元の俳人にとって、芭蕉の来... ...続きを見る

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2014/07/28 11:56
奥の細道 みちのく編
 奥の細道を訪ねる旅もようやく前半を終了しましので、前回の「旅立ち編」に続いて、今回は須賀川から平泉までを「みちのく編」としてまとめてみました。ご覧いただければ幸いです。 ...続きを見る

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2014/06/25 14:21
奥の細道紀行 20. 医王寺〜国見
奥の細道紀行 20. 医王寺〜国見 ・ 医王寺  (2014. 6. 5.)  医王寺は、源義経が鎌倉に駆けつけるときに家臣となって従い、屋島と京堀川で討ち死にした佐藤継信・忠信兄弟の菩提寺である。のち、兄頼朝に追われた義経は、平泉に逃れる途中、この寺に立ち寄ったといわれ、弁慶の笈などゆかりの品が宝物館に収納されている。  「おくのほそ道」で、『佐藤庄司が旧跡は・・・・飯塚の里鯖野と聞きて、尋ねたづね行くに、丸山といふに尋ねあたる。これ庄司が旧館なり』とあるように、芭蕉は継信・忠信の父佐藤庄司の館跡を尋ねて歩いた。芭蕉が「... ...続きを見る

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2014/06/22 16:09
奥の細道紀行 19. 安積山〜信夫文知摺石
奥の細道紀行 19. 安積山〜信夫文知摺石 ◎今回と次回 (No.19 & No.20) は、2月に予定していたが大雪のため中止になっていた行程で、奥の細道の順路としては「No.9 鐙摺〜武隈の松」 の前に遡ります.。 ...続きを見る

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2014/06/17 16:05
奥の細道紀行 18. 尾花沢〜立石寺
奥の細道紀行 18. 尾花沢〜立石寺   ・ 尾花沢  (2014. 5. 16.)   山刀伐峠を越えて尾花沢に入った芭蕉は鈴木清風を訪れ、そのもてなしを受けてくつろいだ。「おくのほそ道」に『尾花沢にて清風といふ者を尋ぬ。かれは富める者なれども志卑しからず』と描かれている清風は、この地方の特産品である紅花の問屋で、芭蕉とは江戸で知り合った俳人である。  清風宅跡は現在駐車場になっているが、その東隣りに国道に面して芭蕉清風歴史資料館があり、館の傍らに芭蕉像が建っている。近くに養泉寺がある。尾花沢で十日間も滞在した芭蕉は、この寺... ...続きを見る

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2014/06/10 14:37
奥の細道紀行 17. 尿前の関〜山刀伐峠
奥の細道紀行 17. 尿前の関〜山刀伐峠 ・ 尿前の関  (2014. 5. 15.)  いよいよ芭蕉は進路を西に向けて出羽の国に向かう。「おくのほそ道」では『小黒崎・みづの小島を過ぎて、鳴子の湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとす』と記している。  小黒崎・みづの小島(美豆の小島)は、古今集・続古今集などで詠われた歌枕である。江合川の広い河原に向かって、古今集の歌碑が建っている。     「をぐろ崎 みつの小島の人ならば 都のつとに いざといはましを」 河原を眺めると向こう岸近くに小さな山があるが、流れは一向に見えない... ...続きを見る

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2014/06/03 15:13
奥の細道紀行 16. 平泉(続)〜岩出山
奥の細道紀行 16. 平泉(続)〜岩出山 ・ 平泉  (続き)  中尊寺では先ず金色堂を見物した。私はどうゆう訳か今まで機会がなく、この歳になって平泉は初めてである。この金色堂を今まで見たことがなかったのだ。今回の奥の細道巡りを始めた動機も、金色堂を見たいことが第一であった。それだけに少年のような期待感でこの瞬間を迎えた。  期待以上に素晴らしいものだった。全体が金箔に覆われて、中央には阿弥陀三尊が安置され、周囲は蒔絵や螺鈿、彫金で埋め尽くされており、まさに燦然と輝く平安芸術の粋に只々圧倒されるばかりである。金色堂全体が密封され... ...続きを見る

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2014/05/30 14:13
奥の細道紀行 15. 一関〜平泉
・ 一関  (2014. 5. 14.)  芭蕉が登米を発って一関に入った日は、ひどい大雨だった。「曽良随行日記」には、『十二日曇。戸今を立。・・・・・一ノ関黄昏ニ着。合羽モトヲル也。宿ス』とある。 一関市内の「かっぱ崖」には幾つかの標識が建っている。このあたりで芭蕉は合羽も染み透るほどの豪雨に降られたらしい。 芭蕉は、地主町の磐井橋近くにあった金森家に二泊して、ここから平泉に行き中尊寺などを見物した。現在、磐井橋のそばに「二夜庵跡」の標識がある。そこには隣接した形で二軒の金森家があったが... ...続きを見る

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2014/05/27 22:39
奥の細道紀行 14. 石巻〜登米
・ 石巻  (2014. 4. 17〜18.)  松島を発って石巻の日和山に向かう途中、石巻湾に面した東松島市、石巻市の津波被災地を通り、大震災の凄さ、恐ろしさを目の当たりにした。震災前は立派な市街地だった地区が、今は瓦礫などは整理されて一面の更地に化し、一階が破壊されたままの一軒家や柱だけになった寺がポツン立っていたりする。そのような中に、犠牲者を追悼・鎮魂するためお地蔵さんが立てられていた。バスを降り、線香を(防災のため火をつけないで)あげてお祈りしてきたが、しばらく涙がこぼれて止まら... ...続きを見る

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2014/05/12 23:02
奥の細道紀行 13. 松島、瑞巌寺
・ 松島  (2014. 4. 16〜17.)  「おくのほそ道」の冒頭の一節で、『松島の月まづ心にかかりて』と述べているように、芭蕉は深い期待をもって松島を訪れた。そして『そばだつものは天を指さし、伏すものは波に腹ばふ・・・・その気色えう然として、美人の顔を粧ふ』と松島の風景を絶賛した名文を記しているが、あまりの感動で俳句を詠めなかったか、この章では曽良の句だけを載せている。  私たちも塩釜から遊覧船に乗って松島湾を巡り、鐘島(下の写真)・千貫島・双子島などの島々を見て松島に渡った。芭... ...続きを見る

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2014/05/09 21:10
奥の細道紀行 12. 塩竈
・ 塩竈  (2014. 4. 16.)  塩竈神社は陸奥国一宮として古くから崇敬され、仙台藩主伊達家によって再興整備されてきた。芭蕉はここを詣でて、「おくのほそ道」に『かかる道の果て、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそ・・・・いと尊けれ』と崇敬と讃嘆の気持ちを記している。  「陸奥国一宮」の扁額を掲げた鳥居をくぐると、長く急な石段がある。これが表参道で石段の数は202段もある。「おくのほそ道」に『石の階九仞に重なり』とあるのがこの急坂である。 途中で数回休みながら登りきると、ちょう... ...続きを見る

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2014/05/08 11:29
奥の細道紀行 11. 多賀城〜末の松山
・ 壷碑(つぼのいしぶみ)・多賀城跡  (2014. 3. 9.)  多賀城外郭南門跡から公園に入り丘を登ってゆくと、四面が格子窓の鞘堂がある。この鞘堂に納められて立っているのが「壷碑」と云われた多賀城碑である。この壷碑は、神亀元年(724)創建、日本三古碑の一つに挙げられる古碑で、古くから歌枕として知られるものだ。芭蕉は壷碑を訪れて、その感激を「おくのほそ道」に次のように記している。    『ここに至りて疑ひなき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。     行脚の一徳、存命の喜び、羇... ...続きを見る

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2014/03/31 14:35
奥の細道紀行 10. 笠島〜仙台
・ 笠島  (2014. 3. 8.)  「曽良随行日記」によると、陰暦5月4日 飯坂を出発した芭蕉一行は、伊達の大木戸・鐙摺・甲冑堂を過ぎて白石に一泊し、4日に岩沼で武隈の松を見物したのち、笠島へ左折する道を通り過ぎてしまい笠島を見られず、夕刻仙台に到着しているから、「おくのほそ道」本文と実際の行程との間には大きな差異があることになる。  私の読んだ本の解説によると、「おくのほそ道」で「笠島」の章を「武隈の松」の前に持ってきたのは、『道いとあしく、身疲れはべれば、よそながら眺めやりて過... ...続きを見る

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2014/03/29 14:48
奥の細道紀行 9. 鐙摺〜武隈の松
(2月に予定していた 「黒塚〜国見」 の行程は記録的な大雪のため中止になりました。この地区へは改めて行くことにして、今回は先に進みます。) ...続きを見る

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2014/03/25 15:37
奥の細道紀行 8. 須賀川
・ 須賀川  (2014. 1. 11〜12.)  「おくのほそ道」須賀川の章は『とかくして越え行くままに・・・・左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて山連なる』とあり、白河の関を越えていよいよ本格的な奥州路へ踏み入れたのだという芭蕉の感慨が表われている。続いて『影沼といふ所を行くに、今日は空曇りて物影映らず』と記しているが、その影沼(鏡沼)跡は広い田園地帯の真ん中にある。その畔に芭蕉・曽良の像が建っているが、上記の山々を見渡しながら感慨を持って須賀川に向かう二... ...続きを見る

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2014/02/12 10:29
奥の細道紀行 7. 白河の関
・ 白河の関  (2014.1.11.)  白河の関は、5世紀の頃、蝦夷に対する防衛拠点として設けられた関であるが、9世紀初めには縮小し、廃絶された。その後も陸奥への入口として能因法師をはじめ多くの古歌が読み継がれてきたが、芭蕉の時代には、すでにその関跡がどこか定かでなくなっていた。  芭蕉は旧暦4月20日に、いよいよ白河の関を越えて、待望の陸奥入りを果たした。しかし、白河の関址と伝えられるものは何箇所もあって、どれが昔の白河の関跡か確認していたわけではない。「曽良随行日記」には、翌21... ...続きを見る

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2014/02/07 11:27
奥の細道 旅立ち編
 昨年9月に深川を出発した「奥の細道を訪ねて」の旅は、さる11日に白河の関を越えました。この間の写真を纏めてdigibook 「奥の細道・旅立ち編」を作りましたので、ご覧ください。 ...続きを見る

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2014/01/24 16:17
奥の細道紀行 6. 雲厳寺〜遊行柳
・ 雲厳寺  (2013.12. 5.)  芭蕉は、黒羽に滞在中、足を延ばして雲厳寺を訪れている。その目的は、師と仰ぐ仏頂和尚が修行した庵跡を見ることであった。雲厳寺は木々の鬱蒼とした山中にあり、私たちが行った時にも、境内にはだれ一人見えず、静寂そのものであった。山門を入った左側に石碑があり、仏頂和尚の 「たて横の 五尺にたらぬ 草の庵 むすぶもくやし あめなかりせば」の和歌と、芭蕉の句が並んで刻してある。              「木つゝきも 庵はやぶらず 夏こだち」  「仏頂和尚山... ...続きを見る

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2013/12/14 20:43
奥の細道紀行 5. 玉生〜黒羽
・ 玉生  (2013.12. 4.)  日光から黒羽をめざして那須野を進んでいた芭蕉と曽良は、玉生で宿泊した。「おくのほそ道」には『農夫の家に一夜を借りて』とあるが、「曽良随行日記」には『名主ノ家ニ入リテ宿カル』とある。玉生の名主は玉生氏で、代々七郎右衛門の名を受け継いでいた。  私たちはその屋敷跡を訪ねた。そこは現在空き地になっていて、「芭蕉一宿之跡」の石碑と「奥の細道 芭蕉翁の遺跡」の碑が建っており、玉生宿と芭蕉との謂われを紹介する解説文が刻まれている。 ・ 黒羽  (2013.... ...続きを見る

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2013/12/10 17:14
奥の細道紀行 4. 鹿沼〜日光
・ 鹿沼  (2013.11.20)   3月27日に江戸を出発した芭蕉は3日目の29日夕刻には鹿沼に到着している。曽良随行日記には『鹿沼ニ泊ル』とあるだけで宿舎名の記載はないが、鹿沼の西の寺と云われた光太寺に泊まったと伝えられている。光太寺は小高い山の中腹にあり、本堂の左側に小さく盛られた塚の上に「芭蕉居士 嵐雪居士」と彫られた墓碑が建っている。この塚は「笠塚」と云い、芭蕉の死後、寺に残された芭蕉の破れ笠を埋めて供養したものだという。 私たちは、光太寺のあと、近くにある今宮神社に行った。... ...続きを見る

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2013/11/30 14:18
奥の細道紀行 3. 草加〜室の八島
・ 草加・春日部  (2013.10.18)  草加は日光街道で千住の次の宿場である。曾良の「随行日記」によれば、『廿七日夜、カスカベに泊る。江戸より九里余』とあって、第一日夜は粕壁に泊まったことがわかる。それを芭蕉は『その日やうやう草加といふ宿にたどり着きにけり』と書いている。これは、人々との別れを惜しみ、肩の荷の重さに苦しんだ旅の第一日のたどたどしい歩みを強調するためのフィクションであると云われている。芭蕉が「粕壁」よりも「草加」と云う地名のひびきを好んだということもあったと思う。 草... ...続きを見る

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2013/10/31 18:55
奥の細道紀行 2. 千住
・ 千住  (2013. 9. 27)  千住大橋を渡った所に大橋公園がある。私は公園の脇から隅田川の河岸に下りてみた。この辺りが船着場のあったところで、芭蕉はここで船から上がったのだ。そして、ここで見送りに出向いた人々と別離を惜しんで旅立ったのである。護岸には蕪村筆の「旅立ちの図」が大きく描かれている。 大橋公園には「おくのほそ道矢立初の碑」と「おくのほそ道行程図」が建てられており、碑には『千じゅと云所にて・・・・・・・見送なるべし』と、「おくのほそ道」の一節が刻してある。       ... ...続きを見る

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2013/10/08 16:07
奥の細道紀行 1. 旅の始めに・深川
・ 旅の始めに  若い頃に読みかじった松尾芭蕉の「おくのほそ道」(岩波文庫)を引っぱり出して読んでみた。古文に不慣れな私でも、とても面白く読むことが出来た。そして、関連の解説本数冊も立て続けに読んでみて、「奥の細道」を実際にたどってみたいという気持ちに駆り立てられた。一度は行ってみたいと思っていた平泉中尊寺や山寺にも行ける・・・「そうだ 奥の細道 行こう !!」 と決心した。  最近は奥の細道をたどる旅も一つのブームになっているらしく、旅行会社でもツアーを組んだりしている。これに乗っか... ...続きを見る

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2013/10/06 22:34
ヒマラヤ紀行U 11.ナガルコット
・2月21〜22日 ポカラ〜ナガルコット  今朝も雲が多くて山は見えず撮影は中止。8:30にホテル出発。8:40 ポカラ空港着。ブッダエアーU4604 は少し遅れて9:57 離陸した。添乗員が全員のシートを山側に取ってくれた。天候が良ければヒマラヤの山並みが展望できるのだが、わずかにマナスルがうっすらとが見えただけだった。 カトマンズ到着後、市内の日本レストラン「サンセットビュー」で昼食。メニューは「蕎麦定食」である。ここは4年前にも来たことがあるが、ここの職人は長野の戸隠に行って研修して... ...続きを見る

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2011/07/28 18:44
ヒマラヤ紀行U 10.ポカラ
・2月20日 ダンプス〜ポカラ  朝食後もしばらく撮影を楽しんで、11:00にホテル出発、再び山道を下りポカラに向かう。ダンプス〜ポカラは約30キロ。1時間ほどでポカラのペワ湖に着いた。近くの商店街にある日本レストラン「古都」で昼食、メニューは「すき焼き定食」で結構おいしかった。食後湖畔を散策したが、雲が出てヒマラヤの山々は全然見えず撮影はできなかった。その後商店街で土産物を物色したが特にこれといった物はなく、唯一買ったのは山のカレンダー。「All 14 Highest Mountains... ...続きを見る

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2011/07/20 16:01
「ヒマラヤ 2011」
 スライドショー 「ヒマラヤ 2011 ジョムソン街道撮影紀行 」を作成しました。 どうぞご覧ください。 ...続きを見る

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2011/07/09 10:15
ヒマラヤ紀行U 9.ダンプスの眺望
・2月19〜20日 ダンプス  8:30 にカロパニを出発して、ツーリストパーミットで下山手続き・ルプセ滝で撮影・温泉の村タトパニで昼食・・・・と三日前に登ってきた道を逆コースで下って来て、途中からダンプスへ通ずる登山道に入った。この道をダンプスまで行くのに1年前まではトレッキングでしか行けなかったという。車で行ける様になったといっても細い山道で、キックターンしながら登って行き 16:45 にダンプスのホテルに到着した。  ホテル「ダウラギリ ロッジ」はダンプス(標高1799m)でも一番... ...続きを見る

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2011/07/02 12:16
ヒマラヤ紀行U 8.アンナプルナ
・2月18〜19日 カロパニ  カロパニ(標高2,520m)に着いて車から荷物を降ろしていると、向こうから牛の群れがやってきた。我が物顔に道路いっぱいに広がって堂々の行進である。 私たちは、ホテルの部屋に荷物を置いてから早速屋上に上がって夕景撮影に取り掛かった。なかなか眺望の良い場所である。東側には左からニルギリ連峰、アンナプルナ連邦(T峰・フランク・バラハシカル・南峰)が展望でき、西側にはダウラギリ、トクチェピークも雄姿も見せてくれている。夕日に照らされてアンナプルナは赤色を帯び、陽が低... ...続きを見る

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2011/06/28 12:54
ヒマラヤ紀行U 7.河口慧海記念館
・2月18日  ナウリコット〜マルファ〜カロパニ (つづき)  マルファ村で河口慧海記念館を見学した。恥ずかしながら私はヒマラヤに来るまで全然知らなかったが、河口慧海は明治から昭和にかけての仏教学者でチベット探検家として著名な僧侶だった。旅行から帰って市立図書館に行ってみると、慧海に関する本が数冊あった。その中から、上の写真にある河口正著「河口慧海 - 日本最初のチベット入国者」を借りて読んでみた。河口慧海は、法華経等の経典を真に学ぶためには梵語の原典に遡る必要があるが、それがインドで散逸... ...続きを見る

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2011/06/14 11:58
ヒマラヤ紀行U 6.ダウラギリの朝焼け
・2月18日 ナウリコット〜マルファ〜カロパニ  昨日の朝はダウラギリのピークに雲がかかって朝焼けは撮れなかったが、今日は期待できそうだ。今朝も暗いうちに起きだし、屋上に上がると既に何人かがライトを照らしながらカメラのセッティングをしていた。私も、ダウラギリ側とニルギリ側の前後両方に向けられる位置に三脚をセットした。撮影コンディションは最高である。  日の出前のダウラギリは青白く聳え立っていたが、6時半過ぎになって頂上に陽がさして朱色に焼けはじめた。そして10分もすると、純白の「Dhau... ...続きを見る

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2011/06/08 13:54
ヒマラヤ紀行U 5.ナウリコット村
・2月17日 ナウリコット滞在 (つづき)  朝食をとって一休みした後、カメラ片手にナウリコットの集落を訪問した。ロッジから少し下った向こうに住宅が密集した高台が見え、その右下には広々と畑が続いている。のんびりした田園風景だが、そのすぐそばまでダウラギリの山裾が迫っており、ヒマラヤ山系のど真ん中であることを実感させる。畑の中に小さな建物が点在するが、農機具小屋にしては随分立派だと思ったが、何とこれは夫々の家のお墓だという。 集落へ続く道を行くと大きな牛が道の真ん中をやって来る。それを避けて... ...続きを見る

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2011/05/31 16:18
ヒマラヤ紀行U 4.ナウリコットで撮影
・2月17日 ナウリコット滞在  今日はナウリコットに滞在して終日周辺を撮影する。宿泊したロッジ・タサン ビレッジは小高い丘の上にあり、展望が非常に良い。西側正面にはダウラギリT峰(8,167m)が聳えて、その下から手前に大氷河が迫ってくる。その右隣にはトゥクチェピーク(6,920m)がある。「Dhaulagiri」とはサンスクリット語で「白い山」を意味する。私たちの眼前に広がる山群はまさしく「白い山」である。また東側、カリ・ガンダキ河の対岸にはニルギリ連峰(7,061m)が連なっている。... ...続きを見る

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2011/05/27 09:01
ヒマラヤ紀行U 3.四輪駆動車でジョムソン街道を行く
・2月16日 ポカラ〜ナウリコット  朝早くホテルの屋上に上がってみたが小雨で山は見えない。帰りもここで一泊するので次の機会に期待して今朝の撮影は諦める。  今日はいよいよダウラギリを目指して出発である。チャーターした四輪駆動車4台に分乗してジョムソン街道をナウリコットまで登ってゆく予定だ。「ジョムソン街道」はネパールからチベットへと続く古くからの交易ルートで「塩の道」と云われた街道である。ポカラからカリガンダキ渓谷に沿って上るルートで、ネパールで一番人気のトレッキングコースにもなってい... ...続きを見る

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2011/05/18 15:13
ヒマラヤ紀行U 2.バンコク経由ネパールへ
 ・2月15日 バンコク〜カトマンズ〜ポカラ  今朝は6時起床。朝食前にスーツケースを部屋の前に出しておこうと思って、うっかりキーカードを持たずに廊下に出たところドアが閉まって締め出されてしまった。添乗員を探してキーカードを再作成してもらったが、初日からへまをやらかしてしまった。それにしても身支度していたから良かったものの、下着姿で締め出されていたら飛んだ恥をさらすところだった。  それから、後で飛行機に乗ってから気が付いたのだが、読みかけの文庫本を部屋に忘れた来てしまった。昨夜寝付けな... ...続きを見る

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2011/05/15 18:07
ヒマラヤ紀行U 1.ジョムソン街道の旅へ
 4年前の2007年にネパールに旅行してエベレストなどの名峰を撮影して以来、もう一度ヒマラヤに行きたい・・・、今度はダウラギリなどを撮影しにジョムソン街道へ・・・という希望を抱き続けていた。その間、何度かダウラギリ撮影ツアーに参加の機会があったが、その都度よんどころ無い事情で見送らざるを得ず残念な思いをしてきた。そして今年の2月、ようやくその希望が実現した。  今回の撮影旅行は、ポカラからダウラギリ大氷河直下のナウリコットまで4WDでジョムソン街道を上って行き、ダウラギリ・ニルギリ・アンナ... ...続きを見る

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2011/05/05 17:29
シルクロード紀行 13. 万里の長城と紫禁城
 10月30日  昨夜はウルムチのホテルに宿泊した。今朝は9:30発の中国国際航空で乗り継ぎ地の北京へ向けて出発。22日から世話をしてくれたスルーガイドの寥さんとウルムチでのガイド張さんの二人がウルムチ空港で見送ってくれた。寥さんはここから本社のある成都に帰るという。北京行きの便は順調に飛行したが、その先の羽田行きが心配だった。昨日からの気象情報では東京に台風が近づいているらしい。「大阪に着陸されるくらいなら北京でもう一泊して市内見物でもしていこうか」などと仲間と話していた。  北京空港... ...続きを見る

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2011/02/07 21:47
シルクロード紀行 12. カシュガル 職人街
 午後はエイティガール寺院近くにある古い街並みの商店街に出掛けた。商店街には職人街と云われる街も続いていて、店先で職人が仕事をしている。鍛冶職人、木工職人、パン職人、ナン職人などなど。  立ち寄った楽器店の主人は日本語が堪能で、民族楽器についていろいろと楽器を鳴らして説明してくれた。「日本の曲を」というリクエストに応えて弾いてくれた「四季のうた」は見事な演奏であった。大きな本物の楽器は買えないので、私はミニチュア楽器をお土産に買ってきた。 ...続きを見る

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2011/02/06 13:15
シルクロード紀行 11. カシュガル 旧市街
 10月29日  今日はカシュガル市内での撮影である。カシュガルはシルクロードの天山南路と西域南道が合流するタクラマカン砂漠西端のオアシス都市で、中国国内で最西端の町である。人口の約8割をウイグル族が占めるイスラム教の街である。上の写真は繁華街の中心にあるエイティガール寺院。ここの広場は礼拝の日には数万人の信徒で埋め尽くされるという。 カシュガルでは数年前から政府の方針で旧市街の取り壊しが進められている。泥や煉瓦で出来ており老朽化して危険だという理由らしいが、政府の少数民族弾圧だという批判... ...続きを見る

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2011/02/05 17:27
シルクロード紀行 10. アクスからカシュガルへ
 10月28日  昨夜はアクスで宿泊し、今日はいよいよカシュガルへ向かう。アクスからカシュガルまでは450キロ。今日は移動が中心で、特に撮影のために立ち寄る所はない。ただ、途中でウイグル族の住宅を訪問する予定が組まれている。  今日は天候も良く北側に山々が見えるが、それほど高い山ではない。これも天山系の山だろうが、残念ながらこの辺りからは雪を戴く天山山脈の雄姿は見えない。午後、カシュガルも近くなったかなと思われる頃に突如鮮やかな色に彩られた山が現れた。まるで七色の油絵具を染み込ませたよう... ...続きを見る

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2011/02/01 19:08
シルクロード紀行 9. 魔鬼城
 10月27日  タクラマカン砂漠の縦断を終えて、これから天山南路をカシュガルへ向かう。ここ輪台からアクスまで280キロ、今日はアクスで泊まり、あすアクスからカシュガルまで450キロを走る予定である。  今日はあいにく曇っていて、期待していた天山山脈を見ることはできない。殺風景なゴビ状の原野のハイウェイを走り続ける。途中には広大な天然ガス基地が見えた。新疆ウイグルには石油・天然ガスの油田が多くあり、産出されて東部の工業地区や大都市に運ばれる。「西出東運」と言うのだそうだ。近年、中国政府の... ...続きを見る

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2011/01/31 16:52
シルクロード紀行 8. 砂漠の木 枯楊
 塔中招待所を出発して、我々のバスは再び北に向けて砂漠公路をひた走った。2時間余り走ると砂漠の中に枯楊の木がちらほらと見えてきた。タリム河が近くなり、この辺の砂漠の地下に水分が多くなってきたのだろう。 枯楊は砂漠に成育する樹木で、乾燥に強く極寒酷暑にも強い。成長は遅く、塩・アルカリに対する耐性もあるという。世界の枯楊の6割は中国にあり、その9割はこのタリム河周辺にある。中国では、枯楊の木を「千年不死、千年不倒、千年不朽」という。「生きて千年、枯れて千年、倒れて千年」ということである。  こ... ...続きを見る

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2011/01/28 16:48
シルクロード紀行 7. タクラマカンの真ん中
 10月26日  昨夜はここ塔中招待所に泊まった。砂漠の中にポツンと建っている「荒野の宿屋」であり、まるで西部劇にでも出てきそうな光景である。砂漠公路を旅する人の宿泊だけでなく、近くにある石油基地の人たちが休日に食事をしに訪れるらしい。この塔中地区には幾つもの油田が開発されている。そもそもこの砂漠公路は石油開発の目的から建設されたものである。この塔中だけでなく、タクラマカン砂漠では各地で石油・天然ガスが開発されているそうだ。中国の地下資源の無尽蔵さには驚かされる。   朝、出発前に宿舎の... ...続きを見る

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2011/01/19 20:56
シルクロード紀行 6. タクラマカン砂漠縦断
 ニヤ(民豊)の街から砂漠の中に向かって走ると砂漠公路入口のゲートがある。ここからいよいよタクラマカン砂漠縦断である。  砂漠公路はニヤからルンタイ(輪台)に至る砂漠縦断のハイウェイで1997年に完成した。着工当初は日本の技術指導があったという。ニヤから砂漠の真ん中にある塔中まで250キロ、塔中から輪台まで250キロ合計約500キロの長さである。タクラマカン砂漠の広大さが解ろうというものだ。サハラ砂漠に次ぐ世界第2位の大砂漠で、その広さは日本の国土の総面積に匹敵する。  砂漠公路を走って... ...続きを見る

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2011/01/17 14:09
シルクロード紀行 5. 西域南道から砂漠公路へ
 10月25日  朝6時起床、7時(北京時間)ホテル出発。まだ真っ暗である。中国では広い国土の何処でも北京時間が標準時間であり公式に使われているが、日常生活には非常に不便である。学校、役所等の昼休みは午後2時頃から4時頃までだそうで、実態的には2時間から3時間の時差があってちょうど良い位である。一般市民は北京時間から2時間遅れの「ウイグル時間」を日常的に使い分けているらしい。事実、私たちを乗せたバスの中にある時計は2時間遅れの表示をしていた。(翌日には北京時間に変えてあった)  今朝も砂... ...続きを見る

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2011/01/16 17:44
シルクロード紀行 4. ラクダトレッキング
 昼食後は砂漠へラクダ隊の撮影に出かけた。この日は満月である。天気が良ければ「月の沙漠」が撮れるかもしれない。夕方の月の昇る時間に何とか晴れて欲しいと期待して出発した。  ホータンから砂漠の中のハイウェイを走って北へ約50キロ入る。初めて目にする大砂漠、365度どちらを向いても砂だけの世界である。ハイウェイから横道に入ってしばらく行くと前方に10頭ほどのラクダが見えた。我々のラクダが待っている、と思ったがそうではなかった。そこにはアメリカ人観光客の一団ががいて、彼らがラクダに乗って砂漠の中... ...続きを見る

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2010/12/27 18:04
シルクロード紀行 3. ホータン
 10月24日  昨日はクチャ行きの飛行機が次々にキャンセルされてしまい、予定を変更して深夜にホータン(和田)に着いた。でも、寥さんの機敏な対応により、昨夜のホテルから最終日迄の行程変更もすべて順当に手配済みとのことで安心した。チャーターバスと現地ガイドは今朝までにクチャから到着していた。運転手とガイドのグランバイルさんは今日からカシュガルまでの6日間私たちに同行する。バスの運転士さんは昨夜一睡もしてないので仮眠するため、今日午前中はホテルの運転士が代役を務めるという。  朝食の後、バス... ...続きを見る

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2010/12/14 12:02
シルクロード紀行 2. 天候不良で行程変更
 10月23日  ホテルを 6:30 に出発してウルムチ空港に向かう。8:30 発のクチャ行に乗る予定である。朝食はホテルの用意した弁当をバスの中て食べた。パンとゆで卵だけの簡単な物だ。バスの中で寥さんが用意してくれた中国元を両替する。1万円で740元也。  空港に着くとチェックイン窓口で予約していた便がキャンセルされたと告げられた。理由は良く分からないが、寒気が南下して天候が悪化しているらしい。突然のことで一同どうしようかと相談。クチャ行きは1日2便しかないので次の 17:00 発の便... ...続きを見る

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2010/12/08 18:13
シルクロード紀行 1. タクラマカン砂漠撮影旅行へ
 10月22日、タクラマカン砂漠を撮影する旅行に出掛けた。前日21日にオープンしたばかりの羽田空港新国際ターミナルからの出発である。朝6時30分、写真仲間8人が集合。その殆どが毎月集まっている写真クラブのメンバーである。気心が知れた人達ばかりなので楽しい旅になりそうだ。旅行を企画してくれた中国旅行社の日本支社女性担当者の見送りを受けて、8時30分中国国際航空CA184便で出発した。  今回の旅行の誘いを受けたのは6月であった。「タクラマカン砂漠の雄大な景色と夕日撮影をラクダに乗ったりしなが... ...続きを見る

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2010/12/02 11:03
シャングリラ紀行 9.梅里雪山
 今日は撮影の最終日。昨日の夕方からの好天で、期待の朝を迎えた。ホテルの屋上でスタンバイの人も多かったようだが、私は暗いうちから飛来寺展望台に出て三脚を据えた。しかし、薄明るくなるにつれ観光バスも数台到着し、国内外のカメラマンやら巡礼者などで三脚の移動が出来ないほどの混雑ぶりになってきた。  上空はよく晴れているが、梅里雪山には雲がかかったままだ。山に朝日が差し始めたが太子峰も神女峰も姿を見せない。右の将軍峰(スグドン)の中腹だけが赤く染まっていた。  30分程たって日は既に高くなる頃、... ...続きを見る

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2008/05/31 17:27
シャングリラ紀行 8.徳欽にて
 10月20日。今日明日が梅里雪山の撮影日だ。なんとか美しい朝焼けの雪山を撮って帰りたいものである。4時前に起きだして撮影の準備をしたが、天気は曇りで小雨も降りだした模様である。少し明るくなってホテルの屋上に出てみると、雪山は雲に覆われて姿は見えない。三脚を立てている人も数人いたが、今朝の撮影は駄目と皆半ば諦め顔だ。  朝食の後、雨も止んだので展望台の方に行ってみた。天気が悪いのにも拘らず、早朝から集まったチベット人が祈りを捧げている。梅里雪山はチベット仏教の巡礼聖地であり、ここ飛来寺はそ... ...続きを見る

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2008/05/30 12:08
シャングリラ紀行 7.徳欽への路
 5日目の今日は香格里拉から徳欽へ移動の日だ。徳欽までは約190キロ、標高2000メートルの谷底から4000メートル以上の峠までを車で上り下りしながら、直行しても6時間ほどかかる。  朝 8:35 にホテルをバスで出発、天気は依然はっきりしない。香格里拉の市街を出外れて、昨日行った依拉草原の近くで松賛林寺が眺望できる。そこでさっそくバスを停めて道端から撮影した。霧がたちこめて幻想的な光景である。小説「失われた地平線」の主人公が初めてシャングリ・ラのラマ教寺院を目にした光景もこんなものだった... ...続きを見る

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2008/04/21 18:22
シャングリラ紀行 6.松賛林寺
 石カー雪山を下山してからホテルに戻り、昼食の後しばらく部屋で休憩、午後3時から松賛林寺(ショウサンリンジ)に出かけた。松賛林寺は、中甸の町が「香格里拉」に決定される由縁にもなったチベット仏教寺院で、ラサにあるポタラ宮に次ぐ規模の大寺院である。(中甸が香格里拉に改称された経緯については、{1.「失われた地平線」の地へ}をご参照ください)  バスを降りた駐車場でまず、全景の撮影。寺院の周辺にはびっしりと宿坊が立ち並んでいる。寺の門を入るとチベット族の衣装を着た女性とチベット犬のモデルがいた。... ...続きを見る

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2008/03/15 17:19
シャングリラ紀行 5.石カー雪山
 10月18日。今日午前中ははシャングリラの西方に聳える霊山、標高4600メートルの石カー雪山に登る。今回の旅行で一番の高地である。空気はかなり薄くなるので、ホテルで携帯用の酸素ボンベを2本買って持って行くことにした。  ロープウェイ駅へ向かう途中で、石カー雪山の全景の撮れる場所で下車。素朴なチベット家屋と裸麦を干した棚を前景にして撮影した。石カー雪山は頂上が白い岩石で被われ、朝日を受けて光っていた。  バスがロープウェイ駅に着くと、そこはどう見てもチベット寺院としか思えない造りである。... ...続きを見る

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2008/03/10 17:51
シャングリラ紀行 4.普達措国家公園
 10月17日は早朝まだ真っ暗なうちに、ホテルで用意した朝食弁当を持って出発した。貸切バス2台に分乗し、皆が大きなカメラザックを抱えて夫々2座席を使用する。バスには川口先生と呉さんが分かれて乗り、また昨日から同行している男女2人の若い現地ガイドも2台のバスに分乗した。明日からも座席の組み替えはあるが、この態勢で最終日まで行動することになる。今日は、普達措(フダッソ)国家公園にある属都湖(ゾクトコ)と碧塔海(ヘキトウカイ)に行って撮影する予定だ。  7時前に国家公園入口(標高3400メートル... ...続きを見る

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2008/02/09 20:56
シャングリラ紀行 3.シャングリラの街
(前回からだいぶ日にちが空いてしまったが、シャングリラ紀行の記述を再開します)  10月16日朝、シャングリラ到着後、直ちに空港から専用バスでホテルに直行した。我々は今日から6日間、標高3200メートル以上最高4600メートルの地に滞在するので、高山病対策のため今日は夕方までホテルでゆっくりして高地に慣れなければならない。  ホテルでは午前中会議室で、川口先生のレクチャー、現地写真家呉さんの撮影ポイントに付いてのスライド説明等が行われた。呉さんの梅里雪山の美しい写真を見せられて、私たちは... ...続きを見る

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2008/02/03 16:39
シャングリラ紀行 2.初めての中国へ出発
 中国を訪れたのは今回が初めてである。正直言って、今まで私は中国に特別の興味を持つことはできなかった。家族が敦煌とか桂林へ出かけた時も、私は行きたいとは思えなかった。別に特別の理由がある訳ではないが、なぜか中国へ行くのは気が進まないのである。その私が今回敢えて行く気になったのは、あくまでも目的地がシャングリラであり、梅里雪山だったからである。 ...続きを見る

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2007/12/08 21:28
シャングリラ紀行 1.「失われた地平線」の地へ
 私は10月中旬、撮影ツアーに参加して中国雲南省北西部にある香格里拉(シャングリラ)、徳欽を旅してきた。その模様を何回かに分けて記してみたい。 ...続きを見る

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2007/11/28 12:15
ヒマラヤ紀行 11. ナガルコットの丘
・ 1月29日 ナガルコット  最終日の朝はナガルコットで迎えた。カトマンズから東へ約30キロ、標高2100メートルのナガルコットの丘はヒマラヤの展望台として有名である。カトマンズの人たちは日の出を見るためにここに来るという。瀟洒なホテルが丘の彼方此方に点在し、それがとても魅力的な光景を成している。私たちのホテルも、ヒマラヤのランタン・ジュガール山群を正面に一望できる、とても眺めの良い所にあった。  昨日夕方ここに着いた時は、天気は良いものの、霞がかってヒマラヤはハッキリとは見えなかっ... ...続きを見る

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2007/05/08 10:37
ヒマラヤ紀行 10. ハッティバンからバクタプルへ
・ 1月28日 ハッティバンからバクタプルへ  昨日午後、カトマンズを出発してハッティバンに来た。ここ「山岳展望ホテル ハッティバン・リゾート」はかなり高い山の上にある。昨日は麓でバスからジープに乗り換えて、急な山道をジグザグと登ってきた。ホテルは静かな森の中にあり、客室はいずれも離れになっている。何処からもカトマンズ盆地を見下ろす眺望が素晴らしい。盆地の向こうにはランタン、ガネシュヒマールなどのヒマラヤ山脈が望める。着いて早速、テラスでコーヒーのサービスを受けながら、三脚を立てて撮影に... ...続きを見る

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2007/05/06 17:46
ヒマラヤ紀行 9. 遊覧飛行
・ 1月27日 ヒマラヤ遊覧飛行  今日はオプショナルツアーのヒマラヤ遊覧飛行に出かける日だ。搭乗予定の10名は朝5時半に集合してホテルのバスで空港に向かった。搭乗経験のある数人は不参加で、ホテルに残り午前中は市内で自由行動だという。  街はまだ薄暗く、霧も出ていた。見送りの添乗員と案内人のRさんも同乗したバスは順調に空港に着いたが、霧のため搭乗手続きはまだ始まっていない。今日も先日同様に数時間待つことになり、バスの中で朝食の弁当を食べながら、写真談義で時間をつぶした。  イエティ航... ...続きを見る

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2007/05/04 18:10
ヒマラヤ紀行 8. 古都パタン
・ 1月26日 (続き)  カトマンズに戻って、昼食後は古都パタンを見物した。  パタンは、バグマティ川を挟んでカトマンズの南にある。この町は、カトマンズ盆地にマッラの3王朝が独立・君臨した3王国時代に首都として栄えた所で、旧王宮や多くの寺院がある。ここに住むネワール族は彫刻・絵画などの芸術に秀でて、工芸の町として知られているという。 ...続きを見る

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2007/04/16 11:47
ヒマラヤ紀行 7. 高山病
・ 1月26日 下山の日  この最高峰のホテルに2泊して、今日は下山してカトマンズに戻る日だ。昨夜の連絡では、カトマンズも天候は良く、ヘリは予定通りに飛べるとの事だったので、私たちは今朝の早朝撮影は早々に切上げて出発の準備を急いだ。  シャンボチェ空港までの行程で、一昨日の登りでは馬に乗ったのは1人だけだったが、今日の下りでは4人が馬に乗る。高山病で体調を崩した人たちである。  私は幸いにも高山病に罹らずに済んだが、一昨日ホテルに着いた途端に気分が悪くなって酸素吸入を始める人もいた。... ...続きを見る

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2007/03/26 20:11
ヒマラヤ紀行 6. ヒマラヤの絶景
・ 1月25日 ホテル エベレスト ビューで撮影三昧  昨日はホテルに着いて部屋に落ち着いた後、テラスに出て早速撮影を開始した。望遠レンズをつけてファインダーを覗くと、8,848メートルのエベレストの頂きが目の前に大きく迫ってくる。午後5時頃から山々は夕日を受けて山肌が色付き始める。そして刻々と赤色が濃くなってくる。6時過ぎには他の山が次々と日陰に入っていく中で、最後まで赤い陽を受けているのは、やはり最高峰のエベレストと世界4位のローツェだった。  今朝は5時に起きだして、まだ暗いう... ...続きを見る

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2007/03/25 12:37
ヒマラヤ紀行 5. エベレスト ビュー ホテル
・ 1月24日 (続き)  シャンボチェ空港から目的地のエベレスト ビューホテルまでは約2キロの距離があり、ここをゆっくり歩いてフォトハイキングを楽しもうという訳だ。  しかし、3800メートル以上の高地であり、標高差も100メートル程ある。急な登り降りもあって高齢者には結構きつい。オプションで乗馬の用意もあったが、予約していたのは1人だけだった。  手荷物はシェルパ族の人が運んでくれた。女性のポーターが大きな籠に4・5人分の荷物を入れて軽々と背負い、どんどん登っていく。我々には高山... ...続きを見る

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2007/03/02 12:41
ヒマラヤ紀行 4. ヘリでシャンボチェへ
・ 1月24日 シャンボチェへ  いよいよ今日はシャンボチェへ行く日だが、朝5時のモーニングコールで起きだすと外は濃い霧がたち込めていた。昨夜、ホテルの社長がK先生のところに挨拶に見えた時の話では、この数日シャンボチェ地方は天候不良でヘリは飛べない状況だったという。今日行けなかったらどうなるのか、不安がよぎる。  集合時間の6時にロビーに下りると、玄関にはバスが待っているが霧はますます濃くなってきた。こんな状況で空港は未だ閉鎖されているようだ。出発は9時に延期され、部屋に戻って朝食用に... ...続きを見る

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2007/02/24 20:43
ヒマラヤ紀行 3. カトマンズの街
・ 1月23日 (続き)  カトマンズの国際空港は、建物がレンガ造りで、ガラス多用のバンコク空港とは対照的に、とてもクラシックで地味な空港である。この国の経済力を物語るように、入国審査の部屋の天井は低く蛍光灯も暗い。  空港の建物を一歩出ると、多数の若者が群がって来た。チップを求めて、スーツケースを運ばせてくれと周囲から手を差し出してくる。ホテル迎えのバスに乗るまで、後から後からついて来る。  バスには、現地観光会社のRさんが待っていた。Rさんは、K先生・K嬢もお馴染みのベテランガイ... ...続きを見る

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2007/02/18 17:29
ヒマラヤ紀行 2. 機上からエベレスト撮影
・ 1月23日 バンコクからカトマンズへ  翌朝、53階の窓から見下ろすバンコクの町は、どんよりと霧に包まれて沈んでいた。あまり幸先の良い天気ではない。小雨が降っているらしい。  ホテルのレストランで朝食を済ませ、送迎バスで空港に向かう。街は丁度出勤時間らしく、車とバイクで溢れている。子供を学校に送っていく親だろうか、バイクは2人乗りが多い。バスは高速道路に乗ってやっと順調に走り出した。その高速道路に平行して、現在モノレールが建設工事中である。完成は2年後だという。約1時間で空港着。昨... ...続きを見る

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2007/02/10 21:57
ヒマラヤ紀行 1. ネパールへ出発
 1月下旬、C社の撮影ツアーに参加してヒマラヤに行ってきた。以前からエベレストの雄姿に憧れ、一度は撮影したいと常々思っていたので、今回のツアーの募集を知り即刻申し込んだ。  ツアーの内容は、有名な「ホテル エベレスト ビュー」に2泊してエベレストなどの名峰をじっくり撮影し、ナガルコットやハッティバンの展望リゾートにも宿泊するというもので、私にとってはこの上ない贅沢なものだ。それに加えて、オプションでヒマラヤ遊覧飛行もできると言う。喜び勇んで行ってきた。この往復を含めて九日間の旅を、これから何回... ...続きを見る

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2007/02/06 14:26

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