新国立劇場のオペラ「フィデリオ」

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 新国立劇場の新制作・オペラ「フィデリオ」を初日の5月20日に観てきた。「フィデリオ」はベートーヴェンが作曲した唯一のオペラであり、今回は注目の演出家カタリーナ・ワーグナーの演出という事で期待された公演である。このカタリーナの演出は、最終幕で、驚くべき奇想天外・想定外の展開となった。このブログ記事はネタバレにもなるので、最終日6月2日の上演終了を待ってアップすることにした。
 今回の公演は、飯守泰次郎オペラ芸術監督の任期最後の制作であり、任期最後の指揮になる。演出は上記カタリーナ・ワーグナーで、彼女は大作曲家リヒャルト・ワーグナーの曾孫にあたり、現在バイロイト音楽祭総監督を務めている。近年バイロイト音楽祭で「ニュルンベルクのマイスタージンガー」・「トリスタンとイゾルデ」など曾祖父ワーグナー作品の演出で世界の注目と評価を得てきた。今回私が観た公演初日には、いつもと違って客席に外国人の観客・聴衆が異様に多いのが印象的だった。世界の注目度の表れだと私は理解した。
 出演歌手は、フロレスタン役にステファン・グールド、彼は「ニーベルングの指輪」四部作にフル出演するなど当劇場でも大活躍の世界的なヘルデンテノールである。今回も豊かな声量で素晴らしい歌唱であった。レオノーレ役はリカルダ・メルベート、当劇場でも「ローエングリン」のエルザや「ジークフリート」のブリュンヒルデなどで好評だったソプラノ歌手である。ロッコ役は、今年オペラデビュー30周年を迎えるベテラン・二期会会員の妻屋秀和である。上記の主役歌手が期待通りの好演であったほかに、私は初めて聴いたのだが、マルツェリーネ役の石橋栄実が素晴らしいソプラノを聴かせてくれた。
 管弦楽は飯守泰次郎指揮の東京交響楽団。素晴らしい演奏であった。第2幕の第1場と第2場の間に「レオノーレ序曲第3番」が演奏されるのだが(このオペラの序曲については最後に述べる)、オーケストラがこの序曲をすばらしい演奏をしている間、本来なら幕が下りているはずの舞台上で、とても考えられないような、とんでもないことが繰り広げられたのである。
 あらすじを簡単に記すと、
『監獄所長ピツアロは、政敵フロレスタンを不当に監禁している。フロレスタンの妻レオノーレは夫を救出するため、男装してフィデリオと名乗り、監獄の番人ロッコの下で働き救出の機を窺う。大臣の視察を知らされたピツアロは不正の露見を恐れ、フロレスタンの殺害を決意。ピツアロが手を下そうとした瞬間、レオノーレが身を挺して夫をかばう。そこへ大臣が到着、レオノーレの勇気ある行動を称賛し、ピツアロを裁く。人々は神の正しい裁きと愛の力をたたえる。』
・・・・・という筋書きの筈が、舞台上では終幕でこれと真逆の展開となってしまうのである。
 第1幕は概ね筋書き通りの展開である。当劇場の広い舞台をめいっぱい使った巨大なステージは細かく区分けした階が三層から成り、それをせり上げて地下牢が姿を表すという舞台装置は見ものである。最初の序曲の演奏が始まると、最上層の一室でレオノーレが女装を脱ぎ捨て男装のフィデリオに変わるという場面がある。なくてもよい場面だが、この演出では序曲演奏中も舞台で無言の演技を行わせている。また、第一幕には本来登場場面がないフロレスタンが、地下の独房で苦悶する無言の演技が延々と続いていく。ここで独房の壁に白墨で黙々とレオノーレの姿を描き続けるフロレスタン。演じるステファン・グールドが描く数多くのレオノーレ像が、とても見事な出来栄えであり感心した。
 第2幕第1場が終わり、上記したようにレオノーレ序曲第3番が演奏され出すと、異様な展開が始まったのである。女装に戻ったレオノーレに刺されたピツアロが、なんとレオノーレからナイフを奪い返して、フロレスタンとレオノーレの二人を刺し倒してしまう。しかも、あろうことか、二人が倒れている独房の出入り口を外からブロックを積み重ねて密閉してしまうではないか。
 終幕では、本来なら、大臣ドン・フェルナンドによりフロレスタンとフィデリオことレオナーレは救出され、他の囚人たちとともに釈放されることになる。そして、大臣は勇敢な妻・レオノーレの愛と勇気を讃えるのである。
 しかし、本公演の舞台上で演じられたのは本来の筋書きと真逆のものであった。まるで歌劇「アイーダ」終幕のラダメスとアイーダを観ているかのような、地下の密室で歌うフロレスタンとレオナーレ。そして外では、フロレスタンの旧友であるはずの大臣ドン・フェルナンドは追放されるべきピツアロと握手して意気投合しているという、信じられない場面である。ここでは囚人たちの歌う合唱が素晴らしいのだが、私は意外な展開の舞台を見せられて頭が混乱していたのか、じっくり味わって聴くことが出来なかったのは残念であった。
 幕が下りても、しばらくは呆気にとられていた。普通なら観衆は一斉に拍手というところだが、館内に聞こえるのはまばらな拍手とブーイングばかりであった。私の席の周囲でも拍手する人は殆ど居なかった。終演後の歌手達のカーテンコールでは大きな拍手で応えたが、カタリーナ・ワーグナーら演出チームがカーテンコールに登場した時はブーイングの声が一段と多くなった。
 オペラを観ての帰りは、いつもは楽しい幸せな気分で帰途につくのだが、この日ばかりは頭を強く殴られたような、嫌な不愉快な気分を拭えなかった。このショックはその後2~3日も消えなかった。
 この公演の演出には賛否両論があるだろう。しかし、私としては断固「否」である。これは決して「新解釈」などという生易しいものではない。このオペラはベートーヴェンが精神の自由や夫婦愛といった彼の理想を歌い挙げたものだ。カタリーナ・ワーグナーの演出は、現実世界に対する恐怖ということを主張したいのかも知れないが、原作の台本を捻じ曲げ、ベートーヴェンの「最後は愛が勝つ」という崇高な理念を否定するものだといえる。

 最後に、この歌劇の序曲について記してみる。
 この歌劇は最初「レオノーレ」というタイトルで作曲され、1805年に初演された。この時の序曲は「第2番」であった。翌1806年の再演に際して作曲された序曲が「レオノーレ序曲第3番」である。(「第1番」はベートーヴェンの没後に発見されたが、演奏されたかは不明。)このオペラ「レオノーレ」は失敗に終わったが、ベートーヴェンは再度書き直しに取り組み、タイトルも「フィデリオ」と変えて1814年に現在の版が演奏された。つまり、このオペラの序曲は「フィデリオ序曲」を含め合計4曲存在するのである。
 「レオノーレ序曲第3番」は、その中で最も完成度が高いとされ、コンサートでもよく演奏される名曲である。作曲家グスタフ・マーラーが、1904年に「フィデリオ」を指揮した際、第2幕に「レオノーレ序曲第3番」を挿入した。この案には名指揮者フルトヴェングラーも賛同したという。以来、「フィデリオ」の上演には第2幕のフィナーレ直前に「レオノーレ序曲第3番」を演奏するのが、半ば習慣のようになったのだという。
 今回の公演でもマーラーの案に沿って「レオノーレ序曲第3番」が挿入された。そして、カタリーナはこの「レオノーレ序曲第3番」演奏中を利用して「大冒険」をやってのけたのである。
 このオペラを作曲したベートーヴェン、序曲第3番挿入のアイデアを創ったマーラー、カタリーナの曾祖父でありベートーベンを尊敬していたワーグナー。この大作曲家3人が、もしこのカタリーナ演出「フィデリオ」を観たら、あの世でどんな顔をして何と言うだろうか。




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この記事へのコメント

mac
2018年06月04日 10:56
私の友人もこの新演出には驚嘆し、いくら曾孫だからと言ってもとんでもないといって怒っていました。
音楽愛好家
2018年06月04日 11:46
全く同じ意見の方がおられて嬉しいです。
私、土曜の公演を見て、生まれて初めて、オペラ見物で怒りを覚えました。「解釈」なんかじゃないベートーヴェンが怒って化けて出る作品の改変、それも趣味の悪いブラックコメディへの改変で許されることじゃありません。ひいじいさんの七光りで金儲けするエセ演出家に二度と日本で仕事させないように!
e-naka
2018年06月06日 14:40
macさん、音楽愛好家さん、私の感想に賛同して頂き、とてもうれしいです。

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