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zoom RSS 奈良紀行 11. 法輪寺

<<   作成日時 : 2017/07/02 15:22   >>

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・法輪寺 (4月28日)
 中宮寺から北へ約1キロ行くと、古くは三井寺とも呼ばれた法輪寺がある。聖徳太子の病気平癒祈願のため、子の山背大兄王と孫の弓削王が発願して建立された寺である。
 昭和25(1950)年の発掘調査によると、法隆寺と同様、東に金堂、西に塔が並び、北に講堂が建つ伽藍配置をもっていた。その三重塔は法隆寺の五重塔、法起寺の三重塔とともに、斑鳩三塔と賞賛されていたというが、昭和19(1944)年に落雷のため焼失した。その後現在の三重塔が再建されたが、その間には大変な苦労があったらしい。
 焼失直後に再建を発願したが、全焼のため国宝指定は解除となり、全く独力での再建となった。当代住職二代にわたって全国を勧進行脚したが、戦後の混乱期、また高度成長による物価高騰の時期をとおして再建は困難を極め、何度も停滞した。しかしながら、地元の人々や作家の幸田文をはじめ全国から多くの支援もあって、ようやく昭和50(1975)年になって、焼失前の塔と同じ場所に同じ姿で完成したのであった。なお幸田文の父親は、名作「五重塔」で有名な明治大正期の文豪・幸田露伴である。
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 表門を入って進むと正面に講堂がある。中には本尊の十一面観音をはじめ数多くの仏像が並んでいる。中央の十一面観音立像は像高約4bの迫力ある仏像である。私たちはここで住職から法輪寺の沿革と講堂の仏像について詳しいお話を伺った。
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 講堂中央の十一面観音立像は平安時代十世紀頃の作であるが、その左右に安置される薬師如来坐像と虚空蔵菩薩立像は、飛鳥時代七世紀中頃の傑作である。法隆寺の救世観音像や百済観音像に見られた神秘性が薄れ、唇は一直線に結んで古拙の笑いは消えている。また、左右相称性は大きく崩れている。救世観音像や百済観音像よりも、少し時代が進んだ頃の作であろう。
 この境内にも会津八一の歌碑があった。講堂にある十一面観音を詠んだ歌である。歌碑の建立は昭和35(1960)年である。
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    『 くわんのん の しろき ひたひに やうらく の
            かげ うごかして かぜ わたる みゆ 』 

 法輪寺を拝観し終えて、私たちは今日の宿泊ホテルがある奈良の街に向かった。バスで出発して間のなく、右手に法起寺の三重塔が見えた。今回は残念ながら、車窓からの拝観だけである。
 明日の午前中は、いったん奈良を離れて、京都府最南端にある岩船寺と浄瑠璃寺に行く予定である。


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