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zoom RSS オペラ「アンドレア・シェニエ」を観る

<<   作成日時 : 2016/04/29 16:50   >>

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 4月20日、新国立劇場でオペラ「アンドレア・シェニエ」を観た。このオペラを生で観るのは私は初めてだが、今回のお目当てはタイトルロールを歌うテノール、カルロ・ヴェントレである。彼の新国立劇場出演は、2009年「トスカ」のカヴァラドッシ、2013年「アイーダ」のラダメスに続く3回目である。初登場の「トスカ」ではその輝かしく力強い声で、東京のオペラファンを虜にしてしまった。私も観たが、この時の聴衆の熱狂的なカーテンコールは今でもよく覚えいる。以来、私も彼のファンになってしまい、続いて「アイーダ」のラダメスも聴いたのだが、今回のシェニエもまた素晴らしかった。
 このオペラは、フランス革命期に実在した詩人を題材にした悲劇で、ストーリーは次のようなものである。
「アンドレア・シェニエ」の『あらすじ』
 フランス革命前夜。詩人シェリエとコワニー伯爵令嬢マッダレーナは運命的な出会いをする。時は過ぎ5年後、マッダレーナは零落し、革命政府に批判的なシェリエはお尋ね者に。かってコワニー伯爵家の従僕で、今や革命政府の高官となったジェラールもマッダレーナに思いを寄せていた。ジェラールはシェリエを捕えるが、マッダレーナの嘆願に打たれ、シェニエの弁護に回るものの死刑判決が下る。マッダレーナも死刑囚の身代わりとなり、シェリエと二人断頭台に消える。

 演出はフィリップ・アルローで、回転舞台を有効に使い、光と影、色彩も効果的に使ったプロダクションである (今回は2005、2010年に続く3回目の公演)。登場人物の衣装はすべてが白を基調とし全体的には明るい舞台だが、次々に替わる回り舞台と強い照明が大きな影を作り、すべての装置が斜めの角度で、その切り口ラインがギロチンの刃を連想させる。そして全4幕のどの幕でも、幕切れの度に大勢の人が命を奪われ、革命の犠牲者が如何に多かったかを表現している。しかし、終幕では、舞台一面に横たわる市民の死体の中から、4人の子役が立ち上がり、舞台奥へ走って大きな三色旗を振るシルエットが未来への希望を象徴して、とても印象的であった。
 歌手は、最初に記したようにシェリエ役にカルロ・ヴェントレ、そしてマッダレーナ役にマリア・ホセ・シーリ、世界の主要な歌劇場で大活躍の大型ソプラノである。このオペラでは美しいアリアが次々と歌われて楽しい。シェリエの二つのアリア、第1幕の「ある日果てしない青空を」と第4幕の「五月の晴れた日のように」をヴェントレは素晴らしいドラマチックな声で歌い、またマッダレーナのアリア「亡くなった母」では、革命を経た身の上とシェリエの命乞いを、シーリは美しい声で切々と謳い上げた。(バリトンのジェラール役には有名なアリア「祖国の敵」があり、私も期待していたのだが、今回歌ったヴィットリオ・ヴィテッリは今一だった)。そしてフィナーレに歌われるシェリエとマッダレーナの二重唱「私たちの死は愛の勝利」は、ヴェントレとシーリ二人の甘美な、かつパワフルな声が美しく調和して、素晴らしいものだった。

 「アンドレア・シェニエ」は、まさに大革命の真っ只中を生きた実在の詩人を扱ったオペラであるが、その詩人シェニエについて少し調べてみた。
 アンドレ・シェニエ(フランス語名)は、1762年オスマントルコのイスタンブール生まれ。父子ともフランス人だが、母親はギリシャ系トルコ人。1765年アンドレが3歳の時、一家はフランスに移住。父親は1768から1775年までモロッコ総領事を命じられたが、その間も家族はフランス住まい。1782年、20歳のアンドレは父親の強い意向で士官候補生となったが、ほどなくパリに戻り、詩作に没頭した。1787年頃からは、詩作はイデオロギー的、政治的色彩を濃くしていた。そして1789年7月14日、フランス革命の勃発である。
 アンドレは、猛烈な政治活動を開始するが、法の秩序を重んじて立憲王政を目指す、革命の穏健派だった。後に恐怖政治を敷く急進的なロベスピエールらのジャコバン派を、アンドレは得意の筆で攻撃した。しかし、1792年8月10日、パリは再び蜂起した。チュイルリ宮を襲撃して国王ルイ16世一家は拘束される。「9月虐殺」も起こり、アンドレはノルマンディに難を逃れたが、ルイ16世が裁判にかけられるとパリに戻り、国王弁護のために奔走した。まさに不屈の活動家だが、あえなく王は処刑され、危険はアンドレにも迫る。潜伏生活を1年ほど続けたが、1794年3月7日、密偵に逮捕され、140日の獄中生活の後、7月25日断頭台に送られた。いわゆるロベスピエールによる恐怖政治の犠牲者である。しかも、ロベスピエールはアンドレの処刑の僅か2日後に失脚している。
 生前はほゞ無名だった詩人シェリエは、死後その悲劇的な生涯故に再発見、そして美化され、フランス18世紀を代表する詩人と位置付けられるまでになったという。ロベスピエールの失脚まで、あと数日生き延びていれば助かったのだが、ただしその場合、「悲劇の詩人」として後世に記憶されることにはならなかったかも知れない。 





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コメント(1件)

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e-nakaさん
アンドレア・シェニエ、今まで知りませんでした。なかなかドラマチックな話でオペラで観るのは面白そうです。
e-nakaさんのオペラへの深い造詣が良く分かりました。
mac
2016/05/01 10:55

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