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zoom RSS 新国立劇場「ラインの黄金」の新聞評

<<   作成日時 : 2015/10/28 15:56   >>

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 新国立劇場の「ラインの黄金」の評が、一昨日10/26日の朝日新聞の夕刊に掲載され、それを読んで、その酷評ぶりに驚いた。10/14上演の評で評者は音楽評論家・鈴木淳史(以下敬称略)である。
 詳しくは上の新聞切り抜きの画像を見ていただきたいが (このブログは 画像のクリック拡大が2回可能)、見出しは「古色蒼然, 現代に響かず」とあり、評文は新国立劇場の飯守泰次郎音楽監督に対する批判とも見える記載に終始して、音楽的な評は最後に少し触れるだけというものである。
 演出は故ゲッツ・フリードリヒの晩年のフィンランド国立劇場のプロダクションだが、『責任者である当人がいないため、本来の方向性も活気も失われた舞台』だと断じ、『現代ではチープさだけが際立つ』として、今回のこの公演の意義を認めていない。さらに、『なぜ国を代表するオペラハウスが、古色蒼然とした演出を他国からわざわざ借りて来くるに至ったか。その審美眼、そしてその決定の不透明さが気に掛かる』とまで云い、この公演に反対だという立場を表明しつつ、飯守音楽監督を暗に非難している。
 演奏の内容については最後に触れ、さすがにローゲを歌ったステファン・グールドのついては『呪われた物語の“福音史家”の役割を全うした』と評している。飯守泰次郎の指揮については、『ローゲとアルべルヒの対話の場面などで変化に満ちた表情を東京フィルから引き出した』と評価したが、これは『歌手の健闘に導かれた』とし、指揮者飯守を認めてはいない。さらに、東フィルの演奏については、『最後、神々による入城の場面では、不協和音さえ混じる濁った響きが場内を覆った。ラインの水は、やはり澄み切らぬまま』とまで酷評し、東フィルのメンバーに対しても大変失礼な表現までしている。私が聴いた10/1日の演奏は素晴らしいものだったが、評者が聴いた14日には何か演奏にへまがあったのかどうかは知らない。いずれにしても、この朝日評は、私は見るに堪えないような違和感を覚え、不快感さえ生じた。
 それで、朝日評は評として、他紙の評がどのような物になっているか知りたくなり、昨日、市立中央図書館に行き、読売新聞と産経新聞の「ラインの黄金」評を探し出してきた。(日経新聞と毎日新聞の評も探したが、26日までの紙面には見当たらなかった。)
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 これは、読売新聞10/13日夕刊の「ラインの黄金」評である。評者は音楽評論家・沼野雄司で、公演初日10/1の評。
 見出しは「オーケストラ 浅い響き」とある。先ず 『ワーグナーのオペラではすべての楽器の旋律が絡み合い、うねるようにして伽藍を形成する。このうねりを・・・・・彫琢することにおいて、飯守泰次郎ほど信頼のおける指揮者はいない』とし、『しかし、この手管も、あまりに徹底されると「くどく」感じられる。とりわけ、オーケストラの状態が万全ではない場合、表現の彫りの深さは、むしろ皮肉にも響きの浅さを呼び込んでしまう』といい、今回 『終始感じたのはこの危うさだった』という。要は、飯守の指揮を十分表現するほどには、オケの状態が万全ではなかったということであろう。
 演出については、『特に欠点があるわけではないものの、15年前に死去しているゲッツ・フリードリヒのそれは、端的にいって「古い」。しつらえが古典的ということではなく、逆に当時のモダンだからこそ、もっさりと鈍い印象をうけるのだ』という。歌手については、『アルベリヒの悲惨を全身で引き受けたトーマス・ガセリ、評判通りの強靭な喉を披露したローゲ役のステファン・グールドなど、歌手陣は申し分ない』とし、特にグールドは『従来のひねたローゲ像を、スマートで紳士的な性格へと更新する勢いがあった』と評価している。
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 次は、産経新聞10/16掲載の評で、評者は音楽評論家・国土潤一。これも公演初日10/1日の評である。
 見出しは「一瞬の弛緩もない飯守の指揮」であり、『今回の公演の最大の牽引役は、やはり飯守であった。2時間40分余りを、一瞬の弛緩もなく、緻密に、情熱を込めて紡ぎ上げた飯守には惜しみない拍手と感謝を送りたい』と最大限の評価である。
 演出については、『今回のは・・・・・フリードリヒの最晩年の仕事に当たる。昨今の珍奇な演出と違って、ワーグナーの音楽を邪魔しない舞台はうれしい』と歓迎し、「指輪」の新シリーズに 『少なくとも10年は再演できる舞台を期待』している。歌手については、『ローゲ役のステファン・グールドが圧倒的存在感。この壮大な叙事詩のキーパーソンとしてのローゲの存在に光を当てるのは近年、顕著に見られる傾向だが、グールドの歌唱は圧巻の一語に尽きる』と最大の賛辞である。

 以上3紙の「ラインの黄金」評を見てきたが、三者三様に評価が分かれている。新聞評といえ所詮内容は評者の私見であり、要は新聞が誰を評者に選ぶかということになる。そこで上記3紙評者のプロフィールをインターネットのウィキペディア等で見ると概要は下記の通りである。
 朝日評者・鈴木淳史
1970年生まれ。法政大学日本文学科卒。自らを「売文業」と称し、著書多数。主にクラシック音楽の「私批評」を行い、音楽評論を評論したりしている。
 読売評者・沼野雄司
1965年生まれ。東京芸大大学院音楽研究科博士後期課程修了。ハーバード大学客員研究員などを経て桐朋学園大学教授。音楽評論家というより現代音楽研究家。
 産経評者・国土潤一
1956年生まれ。東京芸大大学院修了(独唱テノール専行。ドイツ国立デトモルト音楽大学留学。武蔵野美大及び東京学芸大講師。各地で合唱を主とした指揮指導のほか、「音楽の友」「レコード芸術」誌等を中心に音楽評論。

 ここで試みに、「ラインの黄金」の公演日・評者の観劇日・評の掲載日を時系列で見てみよう。
  10月 1日 「ラインの黄金」公演初日
          読売の評者・産経の評者が観劇 (私もこの日に観劇)
  10月 6日 (このブログに「ラインの黄金」の感想文をアップロード)
  10月13日 読売新聞夕刊に「ラインの黄金」評を掲載
  10月14日 朝日の評者が「ラインの黄金」を観劇
  10月16日 産経新聞に「ラインの黄金」評を掲載
  10月17日 「ラインの黄金」公演最終日
  10月26日 朝日新聞に「ラインの黄金」評を掲載

 演劇やオペラ公演の新聞評というものは、初日か翌日に公演を観て評論し、新聞への掲載はできるだけ公演の終了日以前に行うのが常識である、と私は思っていた。読売新聞・産経新聞は流石にそのような日程で評論している。いっぽう朝日新聞はといえば、(初日以降も4・7・10日に公演があったにも関わらず) 初日から10日以上経過し他社の新聞評が出てから、のこのこと公演に行き、公演終了の9日後にやっと評を掲載するという体たらくである。朝日評者は上記プロフィールにあるように「音楽評論を評論」しているというが、もし万一、13日の読売評を読んでから公演に行き評論したのだとすれば、論外のことである。
 朝日新聞は、過っては、永年にわたり故吉田秀和の「音楽展望」を掲載するなど、文化欄・音楽評欄の充実ぶりには定評があった。私は、親の代から (従って幼少のころから)の朝日の愛読者であり、近年のいろいろな朝日批判にも関わらず購読を止めないで来ている。今回のこのオペラ評が、「批判されている朝日の特異性の象徴である」とは思いたくはないが、これからの音楽評、私の大好きなオペラの評で、私をこれ以上失望させ「朝日はもう止めた」と云わせないで貰いたいものである。




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