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zoom RSS 奥の細道紀行 38. 福井〜木ノ芽峠

<<   作成日時 : 2015/01/26 17:51   >>

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・ 福井  (2014. 11. 30.)
 芭蕉は、永平寺で午後の一時を過ごし、夕方になってから福井の町へ向かった。「おくのほそ道」には『福井は三里ばかりなれば、夕飯したためて出づるに、黄昏の道たどたどし』とある。この永平寺から福井までが、奥の細道で芭蕉が一人で旅をした唯一の場所である。芭蕉は、西行のような孤独な一人旅を愛する人ではなかった。『黄昏の道たどたどし』という表現に、芭蕉の心細さが滲み出ているように思う。
 芭蕉は福井で、十年前に江戸に芭蕉を訪ねてきた『等栽といふ古き隠士』を捜し歩き、『その家に二夜泊ま』った。等栽は貧しい暮らしで、芭蕉が訪れたときも枕がなく、近くの寺院でお堂を建てていたので木片を貰ってきて枕にしたという話がある。その木片は保存され、寛政五年(1793)の芭蕉百年忌にその木枕で芭蕉像を創ったという記録があるが、その木枕の芭蕉像は伝存してない。
 等栽宅跡は、福井市佐内町の佐内公園にある(このページトップの写真)。佐内公園は、安政の大獄で刑死した橋本佐内の墓がある公園で、園内に橋本佐内の銅像や「名月の見所問ん旅寝せん」の芭蕉句碑がある。等栽宅に二泊した芭蕉は、仲秋の名月を鑑賞するには場所を選ぼうと、等栽を誘って敦賀に向かう。等栽は喜んでつき従ってきた。「おくのほそ道」には、『名月は敦賀の港にと旅立つ。等栽もともに送らんと・・・道の枝折りと浮かれ立つ』とある。
 等栽宅を出立してから敦賀に至るまで、芭蕉は朝六つ橋・玉江・日那ヶ嶽・湯尾峠・燧山・越の中山などで月の句を詠み連ねて旅をしている。よほど敦賀での観月が楽しみだったのであろう。私たちも、このルートを訪ね歩いた。
 浅水町の浅水川にかかる朝六つ橋は、“枕草子”に「橋は浅むづの橋・・・」と書かれて以来の有名な橋で、定家・西行らも訪れている。橋の傍にある「朝六つ橋の碑」に西行の歌と芭蕉の句が刻してある。
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          「越に来て 富士とやいはん 角原の
               文殊がだけの 雪のあけぼの」  西行法師
          「朝六つや 月見の旅の 明けはなれ」  芭蕉
 玉江は蘆の名所として知られていたところで、源重之が「夏刈の玉江の蘆を踏みしだき群れゐる鳥の立つ空ぞなき」と詠んだ歌枕である。虚空蔵川にかかる橋の近くに「玉江跡」の碑があり、芭蕉の句 「月見せよ玉江の芦をからぬ先」を紹介している。
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・ 武生  (2014. 12. 3.)
 武生は、大化の改新以降、越前国の国府が置かれていた所で、現在市町村合併で越前市となっている。私たちは、武生の街にある芳春寺で芭蕉の色紙碑を見た後、「ふるさと散歩道」を通り「紫式部公園」を散策した。
 紫式部公園は、越前国司に任ぜられた父と共に当地に住んだことがある紫式部を偲んで作られた公園で、全国で唯一の寝殿造庭園といわれている。日野山を借景にした庭園が美しい。芭蕉が 「おくのほそ道」で 『ようやく白根が岳隠れて、比那が嵩現る』と記しているが、『比那が嵩』は雛が岳・日永岳とも書き、いまは日野山という。
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 「ふるさと散歩道」は、小川沿いに500メートルほど続く公園風の散策路で、途中に芭蕉句碑や与謝野鉄幹・晶子の歌碑などがある。
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             「あすの月 雨占なハん ひなが岳」

・ 湯尾峠〜今庄〜木ノ芽峠  (2014. 12. 3.)
 湯尾峠は、今庄に近い峠で、寿永・延元などの古戦場であった。この峠道は柴田勝家が安土への参勤のため改修したという旧北国街道の難所である。私たちは、標高200メートルほどのこの峠を一時間ほど歩いて越えた。頂上には疱瘡に効く神といわれた孫嫡子神社があり、往時には4件の茶屋があり疱瘡の守り札を売っていたという。頂上には現在芭蕉句碑が建っている。
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             「月に名を つゝみ兼てや いもの神」
 今庄は、江戸時代を通じ宿場として越前で最も繁栄した町である。天保年間には今庄宿に旅籠が55軒もあったという。北国街道は江戸参勤には最短路であり、越前各藩は必ずこの今庄宿を利用した。私たちは、北国街道沿いの旧宿場町をバスの速度を落として通り、車窓から街並みを眺めたが、約1キロに及び昔風の家屋が軒を連ね、本陣・脇本陣跡や多くの酒屋・旅籠、それに高札場が残されている。まるで、江戸時代にタイムスリップしたような感じであった。
 今庄の街の背後に燧山がある。木曽義仲はここに「燧ヶ城」を築城して平家軍に対峙したが、味方の裏切りで退却している。芭蕉は、義仲の悲運を句に詠んでいる。その句碑が今庄住民センターの前にある。句碑の背後に見える山が燧ヶ城跡である。
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               「義仲の 寝覚の山か 月かなし」
 私たちは、今庄から木ノ芽峠へ行く途中で板取宿にも立ち寄った。柴田勝家が安土・京への近道として栃ノ木峠を改修して以来、北国街道の玄関口として賑わった宿場で、越前藩の関所がおかれた所である。江戸後期から明治中期に建てられた茅葺き妻入りの民家・屋根の裾を切り上げた兜造りの民家が4軒現存し、うち2軒は今も住宅として使われているという。
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 木ノ芽峠は、平安初期に開削されたいう古い官道で、敦賀から今庄に抜ける最短路である。道元禅師や親鸞聖人、新田義貞・織田信長・豊臣秀吉らの戦国武将がここを通っている。芭蕉もここを通り、「中山や越路も月はまた命」と詠んでいる。「越路の中山」は木目峠のことで、今の木ノ芽峠である。
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 慶長6年(1601)結城秀康によって峠に茶屋が整備され、前川家が茶屋番を務め、通行人の監視に当たってきた。現当主の永運氏は第43代目という。私たちは夕暮れ近くに峠に行き、茶屋の土間に入れてもらい、当主の前川さんから前川家の成り立ちや茶屋の歴史について説明を聞き、部屋の奥に置かれた秀吉から拝領したという大きな茶釜を見せてもらった。
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