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zoom RSS 奥の細道紀行 31. 市振〜滑川

<<   作成日時 : 2014/11/22 23:20   >>

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・ 市振  (2014. 10. 25.)
 市振の街並みに入る所に「海道の松」という大木が聳えている。解説板に曰く、「昔の北陸道は、この海道の松から、海岸へ降りて、西からの旅人は、いよいよ寄せくる波におびえながら、天下の嶮親不知子不知を東へ越えることになったのである。また西へ上る旅人は10キロ余の浪間を、命がけでかいくぐり、海道の松にたどりついてようやくホッとし、市振の宿に入ったのである。・・・」
 海道の松から街を西に少し行くと、芭蕉が宿泊した桔梗屋跡がある。「一つ家に遊女もねたり萩と月」の名句を詠んだといわれる所である。
 芭蕉は、隣の部屋に泊まったお伊勢参りに行く二人連れの遊女に、涙を流して同行を乞われるが、同方向に行く他の人の後をついて行くがよいと『云い捨て出つゝ、あはれさしばらくやまざりけらし。・・・曾良に語れば、書きとどめはべる』。 「おくのほそ道」にはこのように記しているが、曾良の随行日記には何の記載もない。この遊女の話は全くのフィクションというのが定説のようである。
 しかし、港町にはどこも遊女がおり、抜け参りの風習も多かったようであり、特にこの年は伊勢遷宮の年であったから、芭蕉たちも道中のどこかでこういう場面に遭遇したかもしれない。親不知の難所を越えて旅のつらさ悲しさの思いが高まったここ市振で、このようはシーンを挿入する文章構成のうまさはさすが芭蕉であると言えよう。
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 この句碑が近くの長円寺の境内に建っている。
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              「一つ家に 遊女もねたり 萩と月」
 桔梗屋跡を更に西に行くと市振小学校があるが、この辺りが江戸時代の市振関所跡である。慶長三年(1598)に春日山城主堀秀治がここに関所をもうけ、以来明治時代まで続けられた。女と鉄砲の出入りを特に厳重に取り締まったという。いまは、校庭に樹齢約300年・樹高約18メートルの榎の大樹があり、その昔を伝えている。
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・ 境関所  (2014. 10. 25.)
 七月十三日(陽暦8月27日)市振を出た芭蕉は、長い越後の旅を終え、堺川を渡って越中の国に入った。「曾良随行日記」には『十三日 市振立。・・・中・後ノ堺、川有。渡テ越中ノ方、堺村ト云。加賀ノ番所有。』とある。ここに云う「加賀ノ番所」とは境関所である。
 境関所は加賀藩の管轄した関所で、慶長19年(1614)開設され、明治2年まで存続した。加賀藩最大の、また日本随一の厳重な警備体制で役人・武器などは小さな城に匹敵する武力を持っていたという。幕府は各藩が私関を置くことを禁じていたが、加賀藩は境については関所と称し、他の番所と区別していた。
 境関所跡は東西に細長い境の街並みのほぼ中央にあり、立派に整備され、県の史跡に指定されてある。
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 また堺には境一里塚がある。一里塚は江戸初期に幕府が江戸日本橋を起点に、五街道など主な道路に一里(4キロ)ごとに造らせた。加賀藩でもこれに倣って北陸道に一里塚を築いた。境の一里塚は領内の起点として作られたもので、富山県内で唯一現存するものである。
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・ 滑川  (2014. 10. 25.)
 芭蕉は市振を立った日は滑川に宿泊している。「曾良随行日記」に『昼過、雨降らんとして晴。申ノ下刻、滑河ニ着、宿。暑気甚シ。』とあるだけで、滑川についてそれ以上の記載は「おくのほそ道」にもない。私たちは、滑川で徳城寺・櫟原神社・水橋神社で句碑などを見てきた。
 徳城寺は、芭蕉が宿泊したと伝えられ(その後明治13年に現在地に移転)、境内に芭蕉七十回忌に建立したという古い句碑と真新しい句碑が並んでいる。
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             「早稲の香や わけ入右は ありそ海」
 この「早稲の香や」の句碑は越中に入って各所に見られた。この句については、次回 No.32の「奈呉の浦」の項で記す予定である。
 櫟原(いちはら)神社には「しばらくは花のうえなる・・・」と刻した安政2年(1855)造立の芭蕉句碑がある。また、滑川市郊外の水橋神社には、私の大好きな「あかあかと日はつれなくも・・・」の句碑があった。
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              「しばらくは 花のうえなる 月夜かな」
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           「あかあかと 日は難面く(つれなく)も 秋の風」
 この句碑を見学した後、この日の宿泊場所の高岡に向かう途中、バスの中から素晴らしい夕日を見た。赤く焼けた雲に見とれているうち、沈む直前の大きな太陽が真っ赤になって姿を現した。まさにさっき見てきた「あかあかと日はつれなくも」の句そのものの情景である。バスの中でみな歓声を上げてこれを眺めたのであった。
 残念なことに、私は窓側に居らず、絶好のシャッターチャンスを逃してしまった。いま考えても、めったに見られない様な素晴らしい夕景だったので、多少無理しても撮っておけばよかったと、悔やまれてならない。



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