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zoom RSS 奥の細道紀行 28. 出雲崎〜柏崎

<<   作成日時 : 2014/10/08 21:21   >>

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・ 出雲崎  (2014. 9. 28.)
 出雲崎は、芭蕉来遊当時は、佐渡ヶ島への渡船場として栄えた港町である。北国街道に沿って発展し、「妻入り」の家が、日本一の長さの3.6キロにも連なって、今も残っている。「うなぎの寝所」のような、間口が狭く奥行きの長い「妻入り」の構造は、江戸時代に越後一の人口密度を誇った繁栄の名残りである。
 芭蕉と曾良は、鼠ヶ関を越えて以後、村上・新潟・弥彦と日数を重ねて出雲崎に入ったわけだが、「おくのほそ道」本文には『暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず』と、ただそれだけの簡便な筆で市振まで通過してしまい、出雲崎は地名すら出てこない。そして「曽良随行日記」には、『四日 快晴。・・・同晩、申ノ上刻、出雲崎ニ着、宿ス。夜中、雨強降。五日 朝迄雨降ル。辰ノ上刻止。出雲崎ヲ立』とだけ、記載がある。 しかし出雲崎は、「荒海や佐渡に横たふ 天の河」の名句が生まれた地として、奥の細道の上で忘れてはならない場所である。
 私たちは、3.6キロの「妻入り」街並みのほぼ中央にある良寛堂から、南西の街はずれにある獄門址まで、北国街道に沿って約1時間半、ゆっくりと散策した。途中には芭蕉園をはじめ見るべきところが多い。
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 出雲崎は、芭蕉のそれはともかく、良寛生誕の地としてよく知られている (良寛生誕は芭蕉が出雲崎を通過した約70年後)。良寛堂は生家橘屋の屋敷跡に建つ小さなお堂で、母の故郷・佐渡を借景に日本海に浮かぶようにしてたたずむ。堂の一段低い裏庭には、良寛像が日本海越しに佐渡ヶ島を望む様にして座っている。
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 良寛堂から北国街道を南西方向に少し行くと、芭蕉が宿泊したと伝えられる大崎屋跡がある。以前は、更地に「芭蕉宿泊地跡」の標識が建っていたというが、いまは住宅が新しく建って、標識もない。この大崎屋跡の斜め向かいに芭蕉園という小公園がある。芭蕉園には旅姿の芭蕉像があり、園の奥に「銀河ノ序」の石碑が建っている。
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 この「銀河ノ序」の碑面は、「続蕉影余韻」所収の芭蕉真蹟の写しを拡大して刻したもので、碑の脇に読みやすく書いた板が添えてある。しかし、改行が一定でなく読みにくいので、少し長くなるが、私なりに改行をし濁点を付けて書き直してみる。

 ゑちごの驛 出雲崎といふ處より
 佐渡がしまは海上十八里とかや
 谷嶺のけんそ くまなく
 東西三十余里に よこをれ ふして
 まだ初秋の薄霧立もあへず
 波の音さすがに たかゝらず
 たゞ手のとゞく計になむ見わたさる
 げにや此しまは こがね あまた わき出て
 世にめでたき嶋になむ侍るを
 むかし今に到りて
 大罪朝敵の人々遠流の境にして
 物うき しまの名に立侍れば
 いと冷(すさま)じき心地せらるゝに
 宵の月入かゝる比(ころ) うみのおもて ほのぐらく
 山のかたち雲透に見へて
 波の音いとゞ かなしく聞え侍るに
               芭蕉
   荒海や佐渡に
      よこたふ天河

 一般的に、この句は、夜の荒海の上に天の川が佐渡にかけて横たわっている雄大寂寥を極めた実景を詠んだものと考えられている。そして、この「銀河ノ序」には出雲崎に泊まった夜の光景が美しく表現されているが、実際はどうであったか。上に書いた文で「曽良随行日記」を引用したように、芭蕉が出雲崎に泊まった7月4日の夜は『夜中、雨強降』であり、5日は『朝迄雨降ル』で、とても月や星が見える晩ではなかった。
 芭蕉が、新潟辺りから出雲崎まで、佐渡ヶ島対岸の日本海沿いの道を歩いている間は快晴であった。この間に受けた日本海・銀河の印象に、流刑地佐渡ヶ島にまつわる人間の歴史をないまぜて、佐渡への渡航場出雲崎での心象風景として詠まれた、というのが定説の様だ。
 芭蕉園から少し先に「俳諧伝灯塚」という解説版があり、そこを入って石段を登ると妙福寺がある。境内に新旧二基の石碑がある。芭蕉・支考・蘆元坊という蕉風を伝えた三人の句が併刻された俳諧伝灯塚である。芭蕉の句はむろん「荒海や・・・」である。
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 この寺の境内からの眺めは素晴らしい(このページトップの写真)。しかし、残念なことに佐渡ヶ島は見えなかった。この日は終日快晴であったが、気温30度に達する真夏日で、夏もやの為か、午前中に行った西生寺の見晴台でも、良寛堂でも、そしてここでも、佐渡は一度も姿を現さなかった。

・ 柏崎  (2014. 9. 28.)
 7月5日(陽暦8月19日)出雲崎を発った芭蕉は柏崎に着いて、何かトラブルが発生したようである。『天や弥惣兵衛ヘ弥三良状届、宿ナド云付ルトイヘども、不快シテ出ヅ。道迄両度人走テ止、不止シテ出』(曽良随行日記)。象潟の俳人低耳(弥三郎)の紹介状を持って柏崎の豪商・天屋弥惣兵衛を訪ねたが、何かが不快で、怒って出て来てしまう。家人が二度も走ってきて引き留めたが、聞かずに出発し、小雨の中、次の宿場鉢崎まで歩いてしまうのである。芭蕉も、旅の疲れが重なった為か、かなり短気になっていた様だ。(曽良さん、お供は大変ですね!)
 私たちは天屋弥惣兵衛の屋敷跡にも行ってみた。今は 「芭蕉奥の細道紀行 天屋跡」という標識があるだけである。次の鉢崎の宿泊場所「たわら屋跡」は、約4里16キロも先、「鉢崎関所跡」を越えた所にあった。
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 この柏崎〜鉢崎の間に青海川という所がある。北国街道から遙か下に見える信越本線青海川駅は日本一海に近い駅だという。現在の街道には谷を挟んで高く大きな赤い橋があるが、旧街道は、この写真で、手前眼下にある崖道を下り、小さな橋を渡って、駅左側の山を登るという難所である。芭蕉たちが雨の中、鉢崎まで行くのに、この谷を越えたのは勿論である。
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 私たちのツアーも、この旧北国街道の難所を歩いて行った。足に自信のない数人はバスで行った。私は少しためらったが、急坂であっても距離的にはそれ程のことはない、と意を決してこの谷を歩いて越えた。



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