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奥の細道紀行 26. 温海〜村上
奥の細道紀行 26. 温海〜村上 ・ 温海  (2014. 8. 30.)  不玉ら大勢の俳人に送られて酒田を立った芭蕉は、大山を経て温海に着いた。この間の海岸線は岩組が美しい所である。「曽良随行日記」には『三瀬ヨリ温海ヘ三リ半。此内、小波渡・大波渡・潟苔沢ノ辺ニ鬼かけ橋・立岩、色々ノ岩組景地有』と記されている。私たちはこれらを車窓から眺めながら移動し、塩俵岩の所で小休止した。塩俵岩は割れ目が斜めに作用したもので、俵を積み重ねたように見えることからこの名がある。ここに海を背にして大きな芭蕉句碑がそそり立っている。     ... ...続きを見る

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2014/09/20 17:16
奥の細道紀行 25. 象潟
奥の細道紀行 25. 象潟 ・ 象潟  (2014. 8. 30.)  「奥の細道」の西の北限である象潟は、芭蕉たちが訪れたころは、『俤松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は憾むがごとし』と本文にあるように、海上に浮かんでいた群島で、奥州の名峰鳥海山を背景に松の緑が点在する風景は、筆舌につくしがたいものだったようである。その後、文化元年(1804) の大地震で海底が隆起して陸地に変わってしまったが、田圃のそこここにある島々は松の緑を繁らせて、現在でも八十八潟、九十九島の面影を残している。  『先ず能因... ...続きを見る

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2014/09/17 17:29
奥の細道紀行 24. 鶴岡〜酒田
奥の細道紀行 24. 鶴岡〜酒田 ・ 鶴岡  (2014. 8. 29.)  芭蕉は一週間滞在した羽黒山を下って、酒井十四万石の城下町鶴岡に入り長山重行宅に三泊した。重行は身分も教養もある庄内藩士で、江戸在勤中に芭蕉庵を訪ねて入門した人である。  長山宅跡は住宅街の一角にあり、現在空き地になっていて「芭蕉滞留の地」碑とこの地で巻かれた歌仙発句の碑が建っている。「曽良随行日記」によれば、芭蕉は出羽三山詣での疲労が相当たまっていたらしく、この「めづらしや」四吟歌仙は巻かれるのに三日掛かっている。            「めづ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 2

2014/09/14 16:52

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