フォトひとり言

アクセスカウンタ

zoom RSS 奥の細道紀行 25. 象潟

<<   作成日時 : 2014/09/17 17:29   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像

・ 象潟  (2014. 8. 30.)
 「奥の細道」の西の北限である象潟は、芭蕉たちが訪れたころは、『俤松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は憾むがごとし』と本文にあるように、海上に浮かんでいた群島で、奥州の名峰鳥海山を背景に松の緑が点在する風景は、筆舌につくしがたいものだったようである。その後、文化元年(1804) の大地震で海底が隆起して陸地に変わってしまったが、田圃のそこここにある島々は松の緑を繁らせて、現在でも八十八潟、九十九島の面影を残している。
 『先ず能因島に舟を寄せて、三年幽居の跡を訪ひ』とある能因島は、田圃のなかに、十数本の老松を繁らせた周囲50メートルほどの小島である。能因法師がはたして本当にここに住んだかは定かではない。私たちが訪れたとき、周囲の実りかけた稲が風に揺れ、あたかも黄緑色の海の波の様にも見えた。能因島に登って周囲を見渡すと、数百メートル先に蚶満寺の森も見える。
画像
 神功皇后の伝説の地蚶満寺は、境内がそっくり「八ツ島」と呼ばれていた島の跡で、芭蕉たちは能因島から舟で渡った。寺の裏に船着き場の跡と舟つなぎ石がある。また、その近くには西行法師歌桜の跡などもある。
画像
画像
 「おくのほそ道」に『向こうの岸に舟を上がれば、「花の上漕ぐ」とよまれし桜の老い木、西行法師の記念を残す』と記されている西行の歌は、
      「象潟の桜は波にうずもれて
         花の上漕ぐ海士の釣り舟   伝西行」
というものである。ただし、残念ながら西行が象潟を訪れたという史実はない。
 蚶満寺山門前の庭園の中に芭蕉像があり、その傍には「ねぶの花」の句碑がある。また本堂裏の小高い所に建っている同じ句の古い碑には、中央に「芭蕉翁」と大きく刻してある。
画像
画像
              「象潟の 雨や西施が ねぶの花」          
画像
 この二つの句碑の句形はいずれも「象潟の・・・」となっていて、これは芭蕉が象潟滞在中に詠んだ初案である。のちに改作されて「おくのほそ道」に記載の句、「象潟や雨に西施がねぶの花」となった。
 芭蕉像の真向いに西施の像が建っている。 西施は王昭君・貂蝉・楊貴妃とともに中国古代四大美女といわれた女性である。芭蕉は象潟の景を松島と比して『憾むがごとし』といい、また『寂しさに悲しびを加えて、地勢魂を悩ますに似たり』といっている。象潟の雨中の光景は、ひとしお哀しさの趣を加え、それを芭蕉は西施の物憂げに悩んでいる様に比してこの句を詠んだのであろう。
画像
 蚶満寺には芭蕉筆の象潟自詠懐紙の忠実な写し一軸が伝存している。JR象潟駅前にある芭蕉文学碑は、これを拡大して作られたものである。
画像
 
画像


                ******************

              ★ 筆者のホームページ ★
             ENAKA PHOTO GALLERY
                  http://www.enaka.jp/
             特設ギャラリー 「特集・奥の細道」
                http://www.enaka.jp/hosomiti.html

     *************************************************
        Copyright © Keiichi Enaka. All Rights Reserved.





テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
奥の細道紀行 25. 象潟 フォトひとり言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる