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zoom RSS 奥の細道紀行 19. 安積山〜信夫文知摺石

<<   作成日時 : 2014/06/17 16:05   >>

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◎今回と次回 (No.19 & No.20) は、2月に予定していたが大雪のため中止になっていた行程で、奥の細道の順路としては「No.9 鐙摺〜武隈の松」 の前に遡ります.。

・ 安積山  (2014. 6. 4.)
 「おくのほそ道」に『檜皮の宿を離れて、浅香山あり。道より近し。このあたり沼多し』とある。行ってみると、浅香山(安積山)は、山というよりも小丘である。登り口に「安積山公園」の石碑が建っている。
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 芭蕉が『このあたり沼多し』と敢えて記したのは、古今集にある歌「みちのくの あさかの沼の花がつみ かつ見る人に 恋ひやわたらむ」を念頭に置いてのことである。芭蕉は『いづれの草を花がつみとはいふぞ』と花がつみを尋ね歩いたが、知っている人はいなかった。
 現在、花かつみ(学名・ひめしやが)は郡山市の花に指定されており、平成元年に「奥の細道三百年」を記念して植栽が行われたため、安積山公園には花かつみの草は多く見られる。私たちが訪れたときは花の季節は終わった後だったが、幸い咲き残った花を何個か見ることができた。
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・ 黒塚  (2014. 6. 4.)
 黒塚の岩屋は阿武隈川にかかる安達ヶ橋を渡って、すぐ左手にある観世寺の境内にある(このページトップの写真)。謡曲「安達ケ原」で有名で岩屋である。鬼婆が旅人を泊めて殺し、血を吸い肉を食ったという伝説である。芭蕉は、このような怪奇な話は好まなかったのであろうか、「おくのほそ道」では『黒塚の岩屋一見し』の一言で終わっている。また、芭蕉はここでは俳句も詠んでいない。
 岩屋の近くに正岡子規の句碑があった。
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             「涼しさや 聞けば昔は 鬼の家  子規」
  山門を出て右に、阿武隈川の方に少し行くと、大きい杉の木がある。老杉の根元には「黒塚」の標柱と「みちのくの安達の原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか 平兼盛」の歌碑が建っている。
 「曽良随行日記」に『小キ塚ニ杉植テ有。・・・・・右ノ杉植し所は鬼ヲウヅメシ所成らん、ト別当坊申ス』とある。文中の別当坊の言葉にあるように、ここは鬼婆の墓だと伝えられている。老杉はその墓標に相当するものなのだろう。
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・ 信夫文知摺石  (2014. 6. 4.)
 文知摺観音の境内に入ると、正面の小高い所に芭蕉の句碑がある。その句碑の背後に文知摺石がある。
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              「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺」
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 文知摺石は、平安時代にもてはやされた模様の「もじずり絹」を摺った石で、自然石の石紋と綾型を利用したものだという。
 崖上の観音堂の前に、「みちのくの 信夫文知摺たれゆえに 乱れそめにし われならなくに」の歌碑がある。この歌は小倉百人一首や伊勢物語にも引用されている河原左大臣源融の有名な恋歌で、按察使として当地に派遣されてきた若き日の源融と村長の娘虎女との悲恋を詠んだものである。このことから、麦の穂や草の葉でこの石を摺ると、想う人の姿が浮かび上がるという伝説が生まれ、文知摺石を別名「鏡石」というようになった。
 観音堂の裏手を右に行き、奥の方に登ってゆくと源融・虎女の墓がある。
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 以前にも来たことのある人の話では、草むらの中に虎女の墓が見え隠れしていたというが、最近供養塔を建てて改修したらしい。それにしても、恐ろしく立派な墓である。虎女が源融に会ったのは貞観年中(9世紀半ば過ぎ)のことである。今から1100年以上前の人の墓にしては相応しくないと、違和感を覚えるのは私だけであろうか。
 この寺は余程財政が豊からしく、境内は着々と整備され、公園化が進められている(入口に掲げられている案内図は、境内案内ならぬ「信夫文知摺公園案内図」とあった)。虎女の墓より奥の裏山も工事が行われているようであった。境内を案内し説明してくれた住職は、「文知摺石の石の柵は150年以上経っているが、来年までに撤去する」と話していた。
 「曽良随行日記」に『谷アヒニモジズリ石アリ。柵フリテ有』とある。芭蕉が訪れたころの柵がどのような物だったか知れないが、今の柵は大きすぎて文知摺石を見るのに少し邪魔になるのは確かである。しかし、文知摺石の周囲をあまり立派にして欲しくない、できるだけ素朴な雰囲気を残して貰いたいものである。
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 私たちは文知摺石から、福島のホテルに行く前に、月の輪の渡し跡に行った。阿武隈川にあった舟渡しの跡地で、「月の輪の渡し碑」が建てられ、『月の輪の渡しを越えて、瀬の上といふ宿に出づ』と、「おくのほそ道」の一文が刻してある。福島市を流れる阿武隈川の流路は当時より大きく西に離れ、渡し場の跡は、現在住宅地に変わっている。
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