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奥の細道紀行 16. 平泉(続)〜岩出山
奥の細道紀行 16. 平泉(続)〜岩出山 ・ 平泉  (続き)  中尊寺では先ず金色堂を見物した。私はどうゆう訳か今まで機会がなく、この歳になって平泉は初めてである。この金色堂を今まで見たことがなかったのだ。今回の奥の細道巡りを始めた動機も、金色堂を見たいことが第一であった。それだけに少年のような期待感でこの瞬間を迎えた。  期待以上に素晴らしいものだった。全体が金箔に覆われて、中央には阿弥陀三尊が安置され、周囲は蒔絵や螺鈿、彫金で埋め尽くされており、まさに燦然と輝く平安芸術の粋に只々圧倒されるばかりである。金色堂全体が密封され... ...続きを見る

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2014/05/30 14:13
奥の細道紀行 15. 一関〜平泉
奥の細道紀行 15. 一関〜平泉 ・ 一関  (2014. 5. 14.)  芭蕉が登米を発って一関に入った日は、ひどい大雨だった。「曽良随行日記」には、『十二日曇。戸今を立。・・・・・一ノ関黄昏ニ着。合羽モトヲル也。宿ス』とある。 一関市内の「かっぱ崖」には幾つかの標識が建っている。このあたりで芭蕉は合羽も染み透るほどの豪雨に降られたらしい。 芭蕉は、地主町の磐井橋近くにあった金森家に二泊して、ここから平泉に行き中尊寺などを見物した。現在、磐井橋のそばに「二夜庵跡」の標識がある。そこには隣接した形で二軒の金森家があったが... ...続きを見る

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2014/05/27 22:39
奥の細道紀行 14. 石巻〜登米
奥の細道紀行 14. 石巻〜登米 ・ 石巻  (2014. 4. 17〜18.)  松島を発って石巻の日和山に向かう途中、石巻湾に面した東松島市、石巻市の津波被災地を通り、大震災の凄さ、恐ろしさを目の当たりにした。震災前は立派な市街地だった地区が、今は瓦礫などは整理されて一面の更地に化し、一階が破壊されたままの一軒家や柱だけになった寺がポツン立っていたりする。そのような中に、犠牲者を追悼・鎮魂するためお地蔵さんが立てられていた。バスを降り、線香を(防災のため火をつけないで)あげてお祈りしてきたが、しばらく涙がこぼれて止まら... ...続きを見る

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2014/05/12 23:02
奥の細道紀行 13. 松島、瑞巌寺
奥の細道紀行 13. 松島、瑞巌寺 ・ 松島  (2014. 4. 16〜17.)  「おくのほそ道」の冒頭の一節で、『松島の月まづ心にかかりて』と述べているように、芭蕉は深い期待をもって松島を訪れた。そして『そばだつものは天を指さし、伏すものは波に腹ばふ・・・・その気色えう然として、美人の顔を粧ふ』と松島の風景を絶賛した名文を記しているが、あまりの感動で俳句を詠めなかったか、この章では曽良の句だけを載せている。  私たちも塩釜から遊覧船に乗って松島湾を巡り、鐘島(下の写真)・千貫島・双子島などの島々を見て松島に渡った。芭... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/05/09 21:10
奥の細道紀行 12. 塩竈
奥の細道紀行 12. 塩竈 ・ 塩竈  (2014. 4. 16.)  塩竈神社は陸奥国一宮として古くから崇敬され、仙台藩主伊達家によって再興整備されてきた。芭蕉はここを詣でて、「おくのほそ道」に『かかる道の果て、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそ・・・・いと尊けれ』と崇敬と讃嘆の気持ちを記している。  「陸奥国一宮」の扁額を掲げた鳥居をくぐると、長く急な石段がある。これが表参道で石段の数は202段もある。「おくのほそ道」に『石の階九仞に重なり』とあるのがこの急坂である。 途中で数回休みながら登りきると、ちょう... ...続きを見る

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2014/05/08 11:29

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