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zoom RSS 奥の細道紀行 12. 塩竈

<<   作成日時 : 2014/05/08 11:29   >>

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・ 塩竈  (2014. 4. 16.)
 塩竈神社は陸奥国一宮として古くから崇敬され、仙台藩主伊達家によって再興整備されてきた。芭蕉はここを詣でて、「おくのほそ道」に『かかる道の果て、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそ・・・・いと尊けれ』と崇敬と讃嘆の気持ちを記している。
 「陸奥国一宮」の扁額を掲げた鳥居をくぐると、長く急な石段がある。これが表参道で石段の数は202段もある。「おくのほそ道」に『石の階九仞に重なり』とあるのがこの急坂である。
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 途中で数回休みながら登りきると、ちょうど満開の桜に囲まれて美しい楼門があった(このページトップの写真)。さらに唐門を入って行くと、左宮本殿の前に文治燈籠がある。
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 文治燈籠は「おくのほそ道」に記載ある通りで、『かねの扉の面に』左に日、右に月の形を打ち抜きにし、右上段に「奉寄進」、左端に『文治三年和泉三郎敬白』と刻してある。
 藤原和泉三郎忠衡は父秀衡の遺命により源義経に最後まで義を尽くし、頼朝の命に屈した兄泰衡の手で殺された人物である。芭蕉は『かれは勇義忠孝の士なり。佳名今に至りて慕はずといふことなし。誠に人よく道を勤め、義を守るべし。名もまたこれに従ふ、といへり』と記し、忠衡の忠孝を讃えている。
 唐門を出て左に行くと、天然記念物の塩竈桜がある。この桜を見物することを芭蕉は奥州行脚の目的の一つとしていたという。塩竈桜の見頃は5月初旬だというから、芭蕉が訪ねた旧暦5月9日・陽暦6月25日は散ってしまった後である。芭蕉は塩竈桜には遅すぎたが、4月16日に行った私たちは早すぎて見られなかった。
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 東神門から志波彦神社の前に出て、博物館の方へ行くと、道の右側に「芭蕉翁奥の細道碑」があり、「おくのほそ道」塩竈の章の『塩竈の浦に入相の・・・・雄島の磯につく』の文章が抄刻してある。
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 博物館で学芸員の説明を聞きながら貴重な宝物・歴史資料等を見物してから、裏参道を下って行くと「芭蕉止宿の地」があった。説明版に「芭蕉が止宿したのはこの付近。隆盛をきわめた塩竈神社別当法連寺は明治四年廃寺となった」とある。
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 裏参道を出て少し歩いたところに御釜神社がある。「曽良随行日記」の5月8日の項に『出初ニ塩竈ノかまを見ル』とあるように、芭蕉は御釜神社を詣でて神釜を拝んでいる。私たちも神釜を拝んだが、撮影禁止でその写真はない。
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 「おくのほそ道」に『日すでに午に近し。船を借りて松島に渡る』とあるように、私たちも塩釜から遊覧船で松島に向かった。昼食をとった「マリンゲート塩釜」の入り口に、東日本大震災の津波の深さ表示があった。駐車場の地面からの高さを換算すれば、2メートル位だろうか。
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